俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

地震がきた

渋滞で、青信号でも進まず

2011年3月11日(金)14:46、三陸沖でM7.9 (のち8.8、さらに9.0に修正される)、震度7の大地震が起こった。東京は震度5。
私はそのとき東京の会社で仕事をしていた。最初はちょっと大きいな、くらいだったのが「こんな揺れ初めて」になり、デスクの下に潜り込んだ。大型事典類の書棚がそばにあったので。しかし、その重量が逆に幸いしたのか、ぎっしり書籍がつまったスライド式書棚は、左右に大きく揺れはしたものの、軽い本が一冊落ちたきりで済んだ。別部署にあった、軽めの書類や本の棚は、中身がばさばさと落ちたらしい。
30秒か1分か、体感と実際の揺れの秒数はちがうだろう。とにかく揺れが収まり、会社の窓から外を見ると、ビルから飛び出した人たちや、近所の飲食店のコックさんが人溜りをつくっている。車は流れているような、止まっているような。警官が何人も現れて、大通りを整理しようとしていた。
揺れの昂奮が落ち着いたところで、仕事を再開しようとした途端、余震が来る。最初の一撃から小一時間、特に30分くらいまでは、はっきりと体感するほどの余震が何度も続いた。あまり続くので、船酔いのような「地震酔い」をしたほどだ。電話は、近隣の土地はつながるが (ふつうに仕事の電話が来た)、ちょっと遠い地域(県外など)はツーツーツーだ。そのうち、ツーツーからNTTの「お客様のおかけになった番号は現在混み合って……」案内テープに変わった。しかしインターネットは生きている。携帯メールも、つながったり、つながらなかったりだ。auが一番つながっていたらしい。docomosoftbank はアウト。
最初の一撃からしばらくして、消防車と救急車が市ヶ谷方面に列をなした。あの揺れで火事かと思うも、窓からは火災らしき黒煙は見えない。ネットニュースで九段会館の天井が剥落し、数十人のけが人と1人の重体を出したのを知ったのはしばらく経ってからだ。
15時半頃、外を見やると、いつもより歩道の人通りが多い。16時頃、はっきりと人波に列ができている。徒歩帰宅の波だ。これは夜22時頃まで途切れずに続いた。23時頃になると、さすがにまばらだったように思う。
16時頃か、空の雲が少し変な色だ。都内でも数カ所で火災が発生したそうなので、その火焔と煙が反映していたのかもしれない。

会社のTVをつけると、東北地方がひどいことになっていた。TVで見たときは訳が分からず、土石流と思ったものが、実は津波だと知ったのはあとのことだ。見るだけで涙が出そうになるので仕事をする。合間に余震が来る。阪神大震災のときの被災地の方は、もっと心細い思いをしただろう。あのときの阪神といまの東北にくらべれば、東京は建物も高速道路も、ライフラインも生きている。
コンビニはどこも大賑わいで、徒歩帰宅の人たちが疲れを癒すために立ち止まったり、ごはんを買ったりしている。徒歩帰宅中と思しき若い人たちが、店先で談笑しながら肉まんを食べていた。こういう余裕もあったのよ。
地震発生時につけたTVを見て、会社の人が「今日は帰れないかもね」と言ったときは「えっまさか」と返したものだが、まさか実際にそうなるとは思わなかった。18時頃だったか、JR東日本が早々と「全線、今日いっぱい運休」を発表。地下鉄も私鉄も動いてない。これはもしかして、もしかするぞと、夕飯を食べに外へ出た。店がけっこう閉まっている、とは聞いたが、実際に大戸屋が閉まっていてショック。結局、少し離れた中華料理屋で焼きそばを食べた。他のテーブルにいたサラリーマン・グループは、今日は会社待機で帰れないと決めたのか、妙にハイテンションで酒を飲んでいる。
夕飯からの帰り道、公衆電話に並んで、実家へ電話してみる。携帯でも、会社からもつながらなかった電話が、ちゃんと呼び出し音に! やはり公衆電話は強かった。でも30コールしても、肝心の相手が電話に出ない。まじかよー。翌日つながった電話で聞いたら、停電だったそうです。そういえば、留守電に切り替わらなかったっけ。まあ、普段から、電話が鳴っても「気づかなかったわ〜」とナチュラルに言う人たちですからね。でも電話鳴ったら出ろっつーの。

都営地下鉄は、かなり早い段階で復旧。東京メトロは、路線によりバラツキ。私鉄はさまざま。私の使用路線は、22時半頃から復旧を果たしたが、今帰宅しても激混みだろうし、もし途中で電車が止まったらこわい。ので、結局会社で寝泊まりを選択した。このあたりの選択は人によりけりですね。
00:40くらいまで仕事して、会社の人と2人して缶ビール1本だけ飲み、頭を休める。1時間くらい談笑して、もっかい仕事するも、さすがにヨロってきたので3時半だったかな、寝ようと思う。そんなときにTVと携帯(エリアメール)の地震警戒速報ですよ。新潟県中越地方でM6.6、震度6の地震。北陸から甲信越まで大揺れ。もうやだ。
それでも眠気には勝てず、椅子に座ったまま仮眠。いやー、あれはだめだね。すぐに足がむくむね! 人間、やっぱり横にならないとだめですよ。このときだけ、「夜半でも、やっぱ帰宅して布団に横になったほうがよかったかな……」と思いました。
2〜3時間近く仮眠して、朝の強い光に起きたのが6時半。気になる電車は、うんうん、動いとる。JRの首都圏電車も、7時から順次復旧するらしい。会社に残っている人に挨拶して、7:10頃退社。復旧してから終日運転のメトロと私鉄は、本数を押さえて徐行気味の運転だ。8時台に最寄り駅着。自宅周辺が特に変わりない風景でほっとする。
深呼吸して自宅のドアをあけると、わー、内部に変わりない。よかった。高層マンションに比べて揺れが少なかったんだね。これが私の長い一日です。