俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

地震

昨日の東北地方太平洋沖大地震では、被災された方々、今も避難されておられる方々に心よりお見舞申し上げます。
私は東京におり、地震発生時には会社で仕事をしておりました。いっとき、小学生の頃に三陸沖に住んでいたことがあり、地震には慣れておりましたが (関東も地震が多いですが、個人的には三陸のほうが体感震度が強い気がします)、今までで一番の揺れでした。いつもは「あ、これ以上強くなると危ないかな」という辺りで鎮まっていく地震が、止む気配なく、むしろ勢いを増すのです。デスクの下に潜ったのは、小学生以来ではないでしょうか。それでも、たとえば書棚が倒れる、デスクの上のものが流れ落ちるということもなく、長い揺れではありましたが、終わりました。
雑居ビルの2階の窓から外の様子をうかがうと、ビルから飛び出した人たちが歩道でざわめき、どこから来たのか、警官が大通りを整理しておりました。同じ部署の人たちと「今の地震はすごかったですね」と言い合い、TVをつけると、東北地方が大変なことになっておりました。宮城県沖の震源で、東京がここまで揺れるとは……。阪神大震災やジャワ、チリ沖の地震が頭をかすめ、これは世界に報道されるレベルの地震ではないか。東北だいじょうぶかしら、と思ううちに、余震がきました。余震はいやですね。会社の人たちとひとしきり、「ああ怖かった!」と言い合い、心を落ち着けた頃にやってくるのです。仕事に気が集中しません。皆、家族のことを心配しておりました。2時間近くは落ち着かず、胸がきゅうっとするね、と向かいのデスクの人と話した記憶があります。
小さな余震が間歇的に続きましたが、夜20時くらいになると、それなりに落ち着きます。地震の影響で閉めている店が多いと聞き、食べそこねる前に夕飯を求めて飲食店へ向かいました。ほとんどの電車が不通のなか、徒歩帰宅の人波がすごい。みな気が急いているのか、早足でざっざ、と行進していく。社会人の顔はどこか張っており、学生グループはまだちょっと気楽な感じだ。
中華料理屋で焼きそばを食べ、30分で会社に戻りました。帰ろうにも電車は復旧のめどがたたないし、職場待機の身であります。仕事しながら、もう会社で夜明かしだなーと思っていると、22時半頃、自分の路線は復旧が始まったといいます。すごく混んでいるだろうし、もしや途中で電車が止まったら、夜中で身動きがとれない。こうした状況下での夜道は危険だ。迷った末、私は会社で寝泊まりすることにしました。とはいえ、自宅に家族がいたら、どんなでも帰宅したでしょうね。

明け方4時頃に仮眠をとり、7時頃、退社。電車は15分に1本くらいの割合で、やや徐行運転だったかしら。1時間10分ちょいくらいで帰ることができました。自宅の惨状がこわかったけれど、ドアを開けたら意外や意外、ほぼ現状ママ。細長いCDラックとか、倒れていたらどうしようと思っていたけれど無事だったよ。人によっては、棚から食器や本が落ちていたそうなので、このへんは運かな?
ガスだけは、震度5以上の地震で自動的に止まっておりました。ガスメーターの復帰方法をネットで調べて、火を点け、温かい味噌汁を飲む。電気ガス水道のライフラインが残っていてよかった。その後、この日記を書いております。そろそろ、一度横になりますね。では。