俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

近江・湖北の旅1日目【長浜、そして水上舞台】

北国街道の道標。うーん、近江に来た!

琵琶湖めぐり1日目 維新派の湖水水上舞台

10月の3連休、2泊3日で琵琶湖にGo! 湖北にあたる長浜、彦根でございます。
本日の宿泊は長浜。14時ちょい前に到着。駅前の観光案内所も人あたりがよく、配布用mapも数種類あり好印象。この街は「黒壁スクエア」が有名らしい。駅から歩いてすぐだった。人が多っ!

「北国街道 (ほっこくかいどう)」でもある通りは、黒漆喰に町家風の家がずっと続く旧市街。まあだいたいは土産物屋か食べ物屋さんです。それが、ちゃーんと「使える」店ばかりなのがすごい。「黒壁ガラス館」など、小樽を思わせる町づくりでもあるが、正直小樽より断然長浜が楽しいね。ありがち観光地の微妙な品揃えとはちがい、ふつうに歩いていて楽しいもの。あちこちに、食べ歩きできるような団子や饅頭、きんつば、果ては天ぷらまで店先で売っている。古民家を改築したカフェなど、女性受けもばっちり。

写真左は、お昼にいただいた長浜名物「のっぺいうどん」。鰹と昆布の出汁が、あんかけになってます。右下半分を占拠しているのは、掌くらいありそうな巨大シイタケ。こんな大きいシイタケ、初めて見たよ!
写真中央は大通寺の参道、右は大通寺境内。大通寺は別名「長浜御坊」とも呼ばれる名刹で、井伊家と縁が深いようですね。いいお寺さんでした。

黒川スクエア周辺をたっぷり楽しみ、17時すぎに宿のチェックイン。長浜に3軒ある温泉旅館のひとつ「長浜ロイヤルホテル」で、もとは和室とおぼしき洋間の部屋。ちょっと面白い間取りだった。館内の案内板にハングル、簡体字が並んで表記されていて、アジア系観光客の急増を思い知らされる。
さて、夕方からは野外での観劇! もともと、これが目当ての旅なんです。

一から舞台をつくり、公演ごとにバラす劇団「維新派」の、湖水水上舞台「呼吸機械」。細かい感想はid:orenade:20081011#p2に譲るとして、非常に美しい舞台でした。湖に照射するライト、漂う月、飛び散る飛沫。しかしハンパなく寒かった! パねぇ! パねぇっす! 骨まで冷えたよ。
野外公演が終わったあと、屋台で暖かいラムチャイを飲み、ほんの少ぅし生気を取り戻したんだけど、ああ、手のなかの紙コップがどんどん冷めていく……。宿に戻り、ソッコーで温泉。浸かって10分程度じゃ、芯からの冷えは解消されないのね。30分くらい経ったころから、湯の温かさが身体の内側まで入り込んできました。ようやくぬくくなったよ。温泉宿にしてよかった。と心底思った十三夜の月。

維新派「呼吸機械 - <彼>と旅をする20世紀三部作 #2 -」

【作・演出】松本雄吉
【音楽】内橋和久
【Story】物語りの舞台は第二次世界大戦中の東欧。戦災孤児の少年カイ、アベル、イサク、そして少女オルガの4人は戦火の中をあてどなく彷徨います。
地雷を怖れ、野草を食み、時には盗みを働きながらひたすら彼らは歩き続けます。そして彼らの前に現れるは旅芸人の一座…。
【Scene】
 M1「身体の風景」   M6 「身体の震え」
 M2「悲しい顔」    M7 「奇怪な手」
 M3「宇宙のかたち」  M8 「足音」
 M4「グロテスクな唇」 M9 「花火の夜」
 M5「飛ぶ身体」    M10「漂流」
【会場】滋賀県長浜市さいかち浜 野外特設劇場<びわ湖水上舞台>
http://www.ishinha.com/history/kokyukikai/SP/index.php

10/11(土)19:00開演、野外特設劇場<びわ湖水上舞台>。上演時間は約2時間。4年ぶりの野外!
野外のときには、だいたい屋台村が出るらしい。今回も17:30から屋台が開店。おでんにモンゴルパン、焼鳥、カレーなどなど、盛況でした。ライブもあったよ。
寒さ対策で「貸し毛布 200円」「貸しレインコート 150円」もレンタル中。毛布を借りておけばよかった、と後から大後悔。湖をわたる秋の夜風は、想像以上に冷えました。骨まで沁みた。
観客に若い人が多かったのが印象的でした。出演者もそう。対して、作・演出の松本雄吉さんは1946年生まれ。こちらもすごいコントラスト。

維新派の「野外」は、舞台から客席から、すべてを一から作るもの。<湖水上舞台>は波打ち際ぎりぎりに舞台を作り、湖面までが舞台セットの一部という贅沢さだった。ただ、舞台の骨組み自体はシンプル。移動セットはたくさん行き交ったけれど、大舞台の美術はアスレチック・ジムではなかった。それだけ、湖を演出する方向だったとうことだ。
秋の19時はとっぷりと暗い。田舎の夜の暗さである。舞台手前に白い照明があてられるが、奥のほうは何も見えず、黒く塗りつぶされたよう。と、淡い三色のライトが後方を照射する。その一瞬で、今まで知覚できなかった湖が、美しくきらめいて顕われた。舞台と波打ち際との境い目が曖昧なほど、湖面が近い。俳優たちが入水する。せいぜい膝丈なのに、この不安感はなんだ。しかし美しい。私は物理学にとんと不案内だが、無秩序の秩序めいたパフォーマンスを見ていると、なぜか素粒子の世界の錯覚に陥る。


昨年の「nostalgia」は、わりと筋が追いやすかったが、今年のはまたイメージフィルム的。三部作といいつつ、前回とは別の話だ。主人公の子供の1人「カイ」は、実質「カイン」でしょうね。男子3人は聖書由来の名前だとして、少女オルガの由来がわからないなあ。
劇団の「呼吸機械」公式サイト・レビューを見て、映画「灰とダイヤモンド」との引っかけに気がついた。というか、「灰とダイヤモンド」はアンジェイ・ワイダ監督の社会派映画よね〜程度しか知らない……悲しき無知……内容を検索して、ようやく少しわかりました。
その気はないのにどの次元でも、カイ(カイン)はアベルにいつも同じ間違いを犯す。西洋史観・哲学の「歴史はくり返す、螺旋階段のように」なのだろうか。サブタイトルにもある<彼>――第一作のノイチ――は、まったく歴史の傍観者である。というか、「観る者」である。見るべきものは見つ、と言って入水した平知盛が、なおも彼岸から此岸のこの世を眺めているようなもの。これは日本的な感覚?
波間に漂う月、月を背明かりにして佇む子供たち。花火の夜の美しさ。舞台全体が水に浸かり、俳優たちが群れなして飛沫をあげる。この舞台の主役は、湖の自然であり、人間の歴史の自然なのでもあった。