俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

こどもの女

月山にて。かわいい提灯のお花。

写真は、先日の月山より。
さて土曜。趣味の教室に20分だけ立ち寄り、すぐに地下鉄乗車。副都心線で渋谷まで行ったよ! やはり、最初はどこから出ればいいのか迷うね。地上まで多少歩くけど、後からできた路線なんて、こんなものでしょ。
PARCO劇場長塚圭史作品を観劇後、またまた趣味の教室へUターン。通常、8月は休み期間なのだけど、今年は課外授業があるのです。19時近くまで教わったあとは、教室の前期打ち上げ飲み会へなだれ込み。昼からここまで、ロスタイムなし。よくがんばった! 最近、このパターン多いぞ。

パルコ・プロデュース 長塚圭史「sisters」

【作・演出】長塚圭史
【音響】加藤 温
【出演】松たか子 鈴木 杏 田中哲司 中村まこと 梅沢昌代 吉田鋼太郎
http://www.parco-play.com/web/play/sisters/

7/26(土)14:00開演、於・渋谷PARCO劇場。上演時間は2時間15分。
圭史の得意分野である「家族」「血縁」が根幹にある作品。得意分野、というのも変だけれど、自分が観てきた範囲*1で、圭史作品において血族ものにハズレなし、なもんで。
今回はタイトル通り、「娘たち」の話。圭史の描く女って、強いか弱いか (もしくはゆるい) の二極に分かれるんだけれど、今回は「女」ではなく「娘」なのがミソ。子供視点からの解像度がすごく高いんだよね、圭史は。脱線すると、父を描くのもうまいけれど、母は苦手と見た。たいていグレート・マザーなの。チラシに書かれたタイトルが、大文字ではなく小文字の「sisters」なのが、親ではなく子の話なのだと思わせる。パンフレットの表記は「SISTERS」だったけれども。

女性性のかなしさが胸にしみた。
下川耿史『極楽商売』のなかに出てくる、元愚連隊の話が思い出される。

女の中には輪姦されて二回目くらいから頭がおかしくなっちゃうのがいるね。というより絶対逃れられないと観念すると、自分なりの理屈を自分でつくっちゃうわけ。“今、自分に乗っかってくる男を、あたしは好きなんだ”って。本気でそう思うらしい。
——下川耿史『極楽商売』

性犯罪やDV、女性・男性に限らず、自分が蒙る“理不尽なこと”の処理に、こんな理屈で逃げ道をつくることは、実は“よくあること”なのではないか。愛し愛されているから、信用されているから、向こうが不器用なだけ、自分たちは“変”ではない、かわいそうな子はいない。そしてかなしいことに、人の気持ちは二元論ですっぱり切れるものでもないのだ。
そして、いかに仲がよくても張り合う女同士の性 (さが) を、松たか子がよく演じていた。この舞台、最初は翻訳調の芝居シバイしていて「まーたーかーよー」と思ったんだけど、中盤以降の盛り上がりが素晴らしく、硬さや説明台詞が姿を消します。幻想的でマージナル。いい意味での浮遊感。交差する時間軸や場の使い方、人物のやりとりが非常にうまいですね。
役者陣はみんなよい。中村まことさんは、いやらしい男の役を、実にいやらしーく・ウザく演じてくれました。
あと音響! 圭史の舞台に加藤温さんは欠かせませんね。自分は音楽方面はサッパリなんだが、圭史の舞台でかかる楽曲の確かさには、毎回舌を巻く。「舞台の選曲・BGMのセンスは、演出家の出来に通じる」というのが、わたくしの持論でございますが、その点、圭史はかなり加藤さんに助けられていますね。

ところで、圭史の作品で自分が好きな点のひとつに、性の描き方があるような気がしてきた。昔は知らねど、これ見よがしではないところがいい。お昼にうどんを食べるのと同じ土俵で、性がある。かなしくて、滑稽なのである。ここで起こっているのは特別なことではない、という気になる。そのふつうさ故に、胸にひびくのだ。

*1:2002年・PARCO劇場「マイ・ロックンロール・スター」が最初。スズナリ時代の阿佐スパは知らないんだよねえ。気がついたらチケット入手困難だった。「真昼のビッチ」のあと、本拠地の阿佐スパ作品として「はたらくおとこ」。これが大傑作! 以降はだいたい観てるかな。