俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

先生の思い出

酒田の街で。カラスウリの花。

写真は、からすうり。花の蜜に虫が寄っている。からすうりは、夕方に咲く花だ。この白いレースが昔から好き。酒田の街で、民家の壁に蔓を絡ませながら咲いておりました。酒田も遠くになりにけり。
てなわけで週末。友達と会合してきました。〆にうどん食べたったー。

そこで教えていただいた訃報。
国語学者大野晋先生がお亡くなりになっていた。7月14日午前4時、心不全。享年88歳。大ショックです。

 日本語研究を通じて「日本とは何か」を追究し続けた国語学者大野晋(おおの・すすむ)さんが14日午前4時、心不全のため死去した。88歳だった。通夜は17日午後6時、葬儀は18日午前10時から東京都台東区谷中7の14の8の天王寺で。喪主は妻千恵子(ちえこ)さん。
…… 最近は約3千の古語の語源や変遷をたどる「古典基礎語辞典」の編集に教え子らと取り組み、「この辞典ができるまでは死ねない」と最後まで語っていたという。同辞典は来年、刊行予定。……
http://www.asahi.com/obituaries/update/0714/TKY200807140103.html

大野晋先生のご本を読み、この先生の講義を聴きたいと大学選びをした。先生のご年齢が定年と重なるとは思ったが、1年くらいは教われるだろうと楽天思考。入学してすぐ、先生の定年・記念講義でした。まじ凹んだ。大野先生の記念講義は、院生の紀要だか論文だか発表の場とセットで、先生の記念講義→院生発表という流れ。もちろん聴講しに行ったよ。行きましたともさ!
大野先生は、“蕎麦打ち頑固一徹50年”のごとき職人おやじの風貌。小柄な体躯からは思いもよらない、大音声の持ち主でした。東京の下町っ子らしい発声で、響くひびく。精力的に話しつづけ、力強い講義だった。その次の院生発表では、質疑応答で遠慮なく質問を浴びせ、詰問。「○○という視点がないがどうしたことか」「答えられない? そんなことでどうするっ!」院生の担当教授らしき方がフォローに回るも、「僕が学生に訊いているのは、そういうことではない! 学問への態度の問題だ! こんなことで、学問ができると思うのかっ君はぁっっっ!(ビリビリビリッ!と会場を揺るがす雷声)」
一言一句同じではない。というか、私の記憶フィルターがかかっているが、だいたいそのようなことを、おっしゃっていたかと思う。「学問に対して真摯なお姿がすてき……」と、うっとりする一方で「授業をとらなくてよかったかも」と思う、チキンな新入生の自分だった。

この大学の国文学科は変わっていて、つまり「漢字テスト」があるのだ。大学生なのに。2回ほど実施され、一定の点数をとるまで再試は続く。
当時は「なんで大学まで来て、『鬱』『贅』『彙』といった常用外の漢字書き取りをせにゃならんのだ」「用字用語(揚げる・挙げる等)まで出題とは」と、ぶーぶー文句たれていたけれど、社会人の今、ものすごく役に立っております。語彙は豊富に、使い分けも頭に入れて。友達に「あれ、大野晋先生の発案らしいよ」と聞いて、またびっくり。ありがとうございます。
大野先生、どうぞお安らかに。合掌。