俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

文化の日。芝居を観てきました。

晴れ! 洗濯ものから布団から、何でも干しちゃうよ。2回洗濯機を回したよ。アイロンもかけたさ。一気に家事をかたすと爽快ですな。
夜から観劇。JR埼京線与野本町駅より徒歩7分、「彩の国さいたま芸術劇場」です。名前が長いんじゃーい!

維新派「nostalgia - <彼>と旅をする20世紀三部作 #1 -」

【作・演出】松本雄吉
【音楽】内橋和久
【Story】1908年、ブラジルへの移民船、笠戸丸。日本人少年ノイチは、ポルトガル移民のアンと恋に落ちる。カーニバルの夜に人を殺めてしまったノイチは、アンと先住民のチキノをつれて、南米中を転々とすることになる。放浪の途中で、散り散りになってしまったノイチたち。彼らは、再び出会うことはできるのだろうか。
【Scene】
M1「海の近くの運動場」  M8 「風の旗」
M2「移民たちの肖像」   M9 「ジャングルジム」
M3「身体検査」      M10「白と赤のタンゴ」
M4「<彼>」       M11「護送列車」
M5「7拍子のサンバ」    M12「El Dorado」
M6「渡河」        M13「山高帽」
M7「難民」

11/3(土)18:00開演、於・彩の国さいたま芸術劇場。上演時間は2時間。
維新派は2004年「nocturne」、2005年「キートン」(id:orenade:20041010#p2) 以来。昨年の「ナツノトビラ」は見逃しです。今回の「nostalgia」は、以前観たのとベクトルがちがっていて驚いた!
少年、白塗り、トランク、時系列の交錯はお馴染みなんだけど、物語のありようがちがう。自分が観た前2作は台詞も極力少なく、夢を漂うような、イメージフィルム的だったのが、今度は「大人」が主体で、性/生と死が表に出されている。南米移民の歴史も生に近い状態で呈示され、「生身の人間」度の高い舞台だった。かなり動的である。
台詞の多さにもびっくり。これが維新派の「大阪弁ケチャ」? うん、確かにイントネーションが大阪弁。前に観たのが寡黙なだけで、ふだんはこの台詞量なんだろうか。2、3作観たくらいではわからないわねえ。
野外が主体の劇団らしい、スクリーンの使い方だった。屋内でないとできないこと、さらに野外の風味を加味しようと心がけていた。舞台美術でよかったのは農園。カーニバルの夜の花火が美しかった。

ノイチとアンが出会い、成長して互いを意識するようになり、さとうきび畑のシーンにつながるところが好き。たったあれだけのシーンなのにどきどきした。赤い服を着たアン。カーニバルの夜、農場主の男の暴行。殺人。逃避行。子供の誕生。流砂。地図。キーワード「河を渡る」。ノイチが「河を渡る」、アンが「河をのぼる」と随唱する場面は、男と女の差を見るようでせつなかった。まあ、深読みしすぎかもしれませんが。
先住民の少年・チキノが、いまいちわからない。ともに逃避行する動機が弱い。台詞が現地語のときもあるので、余計にわからん*1。ところで、チキノは「チカノ:Chicano (メキシコ系アメリカ人)」から来ていると思われる。
M9「ジャングルジム」の、精霊鳥ハーピーを思わせる演出が不気味でいい。鳥と死者は縁が深いものだ*2ハーピーたちの中から、ノイチがぬっと出てきて語りだす。彼がすでに異界(冥界)の人であること、今のこの場が、冥界と現世のはざまに置かれていることがわかる。このへん、夜の野外で観たら雰囲気倍増だろうなあ。
存在がキーワードらしい、巨人さん。最初出てきたときは客席全体が半笑いだったが、物語が進むにつれて違和感がなくなっていくのがすごかった。最後、ふつうに見られたもんね。我ながらびっくり。

南米移民、アメリカ大陸先住民の歴史を知っていれば、舞台がより鮮明に迫ってくるだろう。通りいっぺんしか知らず、ちょっと反省。世界大戦による日系人排斥は、アメリカだけではなく、南米にも及んでいたのね。M8「風の旗」に、国境を超えようという意志を感じた。

*1:チキノだけではなく、ノイチやアンもポルトガル語スペイン語をしゃべる。日本語以外の言語が多い。

*2:日本でも、ヤマトタケルが死して白鳥となり、飛んでいった……という伝説がありますね。魂が鳥となって天翔けるのは、世界共通のイメージらしいです。