俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

文化の日翌日。展覧会とか映画とか。

上野の博物館。ちょっとだけ紅葉

日も晴れ、行楽日和。布団を干して、午後から向かうは上野と渋谷。「大徳川展」と、映画「ミリキタニの猫」を観てきた。かけもちが億劫で、映画は迷ったけれど、やっぱり観てよかったわあ。予想とはちがかった部分も含めて、面白かったです。昨日の維新派がブラジル移民なら、こちらはアメリ日系人。連鎖反応。

東京国立博物館「大徳川展」

徳川宗家と御三家を中心に、東照宮などゆかりの地から300点余を一挙公開。「将軍の威光」「格式の美」「姫君のみやび」の三部構成。
午後15時と、ぬるい時間に行ったのに20分待ちの行列。場内も人人人、人の頭で展示品が見えない。もったいないが流し見。刀だって正宗クラス、思わず村正を探したけれど、当たり前にありません。人波をかいくぐり、興味を引かれたものだけは覗いてきたよ。
まずは家康関連。本人が着用した鎧や刀、衣類などが実際に目の前にある興奮。当たり前だけどサイズが同じで、家康は胴長の中肉中背だったのね。この刀や鎧を着たときは勝つ、と縁起かつぎもしていたもよう。南蛮趣味も強い。これは安土桃山の気分なんだろう。
自筆の書がまた、想像をたくましくさせる。家康の字は「さらさら」という感じで書かれた、達意の書。家光は意外や、伸びやかで美しい。雄渾ですらある。三代目のお坊ちゃんで、疳症なところはあれど、基本は素直な子なのかも。反対に複雑な気分にさせられたのが、五代将軍綱吉。儒学を好み、勉学に熱心だったという割には……子供のような、非常にアンバランスな字。今回の展示品ではないが、「過則改勿憚」(郡山城史跡・柳沢文庫保存会所蔵、綱吉筆) をご覧いただきたい。展示品の三大字「思無邪 (おもいよこしまなし)」は、さらに独特な字体でしたよ。
ほかに後水尾天皇の宸筆もあり (筆すさびに、ちょいちょいと書いた風の詠草)、頭のなかでは隆慶一郎がぐーるぐる。

話をかえて、水戸家。徳川光圀が直接赤字を入れて訂した「大日本史」には、気合を感じた。藩主が暇つぶし(?)に作陶したっぽい、動物をかたどった香合はかわいいの一言。微妙に素人っぽいの。こんなの後楽園の窯で焼いてたのか〜。幕末の大立者・斉昭公は、自筆の詩を文様にした笛を作らせたり、自己顕示欲が強そう。切れ者だが、さぞかし小うるさい親父だったと思われる。だから「よほどでないかぎり、水戸の爺様の気のすむようにやらせておけば無問題」と、幕閣に言われてたのね (誰が言っていたか失念。堀田正睦阿部正弘だったかなー)。

茶道具も、名器がずらり。茶杓の「虫喰」とか、茶器の「初花」「新田」とか。すごすぎて、すごさがわからん。このあたりは、お着物を着たマダムが取り囲んで「まああ」とか言ってた。
きりがないので、お次は姫君たちの嫁入り道具。徳川の姫もすごいが、やはり皇女和宮だろう。葵と葉菊紋の蒔絵には重量感があり、それらにかけた金と手間は一目瞭然。が、それより何より、家茂の西陣織を見られるとは! 
家茂は14歳で将軍となり、21歳の若さで没するまで、幕末の動乱から幕府存続の道を模索しつづけた青年である。いやいや嫁にきた和宮を気遣い、大切にして、仲のよい夫婦といわれるまでになった。しかし、第二次征長戦のさなか、病に倒れた家茂は大阪城で客死する。残された妻のもとに届いた西陣織。それは生前の家茂が、和宮のために買い求めた土産の反物なのだった。
いまは形見の西陣織を前に、和宮は歌を詠む。「空蝉の唐織ごろもなにかせむ 綾も錦も君ありてこそ」その西陣織から仕立てられた「空蝉の袈裟」が、目の前にある。見ていたら不覚にも涙ぐんでしまった。家茂ー!

映画「ミリキタニの猫

・公式サイト:http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/
(音あり、注意。予告編が流れます)
NYに暮らす80歳の路上アーチスト、日系人ジミー・ツトム・ミリキタニを追ったドキュメンタリー。本編のミリキタニは、予告編よりもふつうの人に見えた。プライドの保ちかたとか、人恋しさとか、虚勢とか。親しい人にわがままを言って、構ってもらおうとする年寄りの常套手段とか (そこが可愛く撮られているのに、リンダ・ハッテンドーフ監督の優しさと、ミリキタニ本人がもつ愛嬌を感じる)。9.11以降、リンダ監督のアパートで同居することになったミリキタニが、リンダ監督の帰宅が遅いと駄々こねるシーンが好き。
ミリキタニは米国生まれ、3歳で日本に渡り (戻り)、18歳まで両親の故郷・広島で過ごす。兵学校を勧める父と喧嘩し「銃ではなく絵筆をとる」と、W国籍をもつ米国へ舞い戻るが、時代は第二次世界大戦である。日系人強制収容所に入れられた。米国への「忠誠審査」に反発、市民権を放棄。原爆で、故郷の知人や一族も “wipe out” 消えた。このあたりの話は、やっぱり重いですね。当時の日系人の苦難については、大河「山河燃ゆ*1程度の知識しかないけれど、実際に生きた人の話を聞くと、しーんとしちゃうわ。9.11以降の、アラブ系米国人への対応について、ミリキタニが言うくだり。 “Same old story” (強制収容所の頃と変わらないよ)、その通り。

ミリキタニの英語には、英語の字幕がかぶせられていた。米国語ネイティブには、聞き取りづらいのだろう。生まれは米国でも日本育ち、ミリキタニの母語は日本語なのだと思われる。自分の絵につけた注釈も日本語だ。鼻歌も日本の歌。
この映画を見て思ったのは、人は一人で生きられないのだなあ、ということ。孤高の路上生活時代、米国政府を罵ることでプライドを保っていたミリキタニが、現状を受け入れ、過去と融和したのはリンダ監督との心の交流があってこそだ。猫背だった背筋が伸び、頑なだった心が解けていく。リンダ監督との生活リハビリがなければ、何を言っても米国憎しのままだったろう。
サムライ・ムービーを愛し、新作映画は「ダメだ」というミリキタニ。広島の柿や鯉を描き、日本人の素晴らしさを説く彼が一番、自分の愛する日本は、今やどこにもない幻想なのだと知っている気がする。漢字で「三力谷」と書く彼は、2007年現在、87歳を迎えた。