俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

長谷川一夫と衣笠貞之助(その1)

先日、確認したいことがあって『日本映画史』第1巻(佐藤忠男著、岩波書店刊)を眺めていたら、ちょっと面白い記述を見つけた。往年の二枚目スター長谷川一夫と、彼を育てた衣笠貞之助監督(このコンビで「雪之丞変化」は当たった)の話である。
戦前の映画俳優は、歌舞伎出身者が多かったが、その演技スタイルが時代劇映画に持ち込まれ、ひいては新派、現代劇にも影響しているという件り。歌舞伎は「きわめて絵画的な演劇」だといい、「俳優は演技の途中で、非常にいい姿勢と表情になったところで一瞬ぴたりと動作を止める。これを きまる と言う。あるいは立派な立役*1が敵を前にして自分の強さを誇示するときなど、やはり勇壮な恰好になったころで相手を威圧するような気迫を見せたりする。これを見得をきると言う。いずれも、リアリズムではなく様式化された演技であり、そのきまったときの形の絵画的な美しさで観客を酔わせるのである」と、その特徴を説明したあと、次のように述べる。

歌舞伎出身の俳優である長谷川一夫は、新派の女形出身で映画監督になった衣笠貞之助によって指導されたが、あるとき衣笠監督は、立回りの場面で、長谷川一夫に、刀を振り回して戦ったあとでぴたりと止まるようにと命じ、そのとき、止った刀の刃に当っているライトの反射がちょうどカメラのレンズに入るように、と注文したそうである。長谷川一夫はいくらなんでもそれは不可能だと言ったというが、衣笠貞之助はまさに演技がぴたりときまって絵のようになる一瞬を期待したのだった。
――『日本映画史』第1巻 佐藤忠男著、岩波書店

この長谷川一夫が後年、宝塚に招かれて「ベルサイユのばら」を演出する (初演は昭和49年、66歳)。宝塚は“夢の空間”ともいうべきもの、舞台に立つ者はあくまで美しく、観客の期待にこたえなくてはならない。原作漫画の世界を現出させるのだ。長谷川先生は宝塚生徒に命じた。「目のなかに、星を入れるんやっ!」
歴史はくりかえす。

劇団☆新感線の演出家、いのうえひでのりさんも、こんな演出の無茶を言っているような気がして、おかしい。新感線の舞台は漫画やゲームみたい、とはよく言われるけれど、昔の時代劇映画にもきっと影響受けてるよね。見得をきるの、好きそうだもの。

*1:立役=男役のこと。