俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

御なつかしい 敦様御許に

ずっと用事。先日注文した、古本の『中島敦・光と影』が届く。平成元年の発行だが、もう品切れなのね。学生の時分に一度読んで、うわあ欲しい、手許におきたいと思ったのだけれど、当時はビンボーだったので買えなかった。ふだんは、こんな堅い本と縁はないのだが、中島敦が好きなんです。

この本には、中島敦の妻・タカ夫人からの書簡や、関係者の聞き書きが収められている。中島敦本人の書簡は、ちくま文庫版の全集第3巻にも収められているけれど、タカ夫人の書簡は、この本だけではないだろうか。中島敦は「山月記」を書いた人。高校の教科書で「隴西の李徴(りちょう)は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね……」と始まる、人が虎になる話を覚えてはおられますまいか。
敦とタカ夫人の出会いは、まさに恋の疾風であるのだけれど、昭和一ケタの時代に「恋しき恋しき敦様」と送る手紙は、恋の苦渋にみちている。「もうお会ひ出来ないかも知れませんのね かなしくなつて書けませんの、どこまでつらくなつて行くのでせう、会ひたいどうしても、」「敦様会ひとう御座居ます 死ぬ程会ひたく成りました」「たかは死んでも死ぬまで心はあなたからはなれません」
一方の敦の手紙。「ほんの少しの間だから、お互に辛抱しよう。東京へ来られることになつたら直ぐ来るが宜い」と恋人の身を案じつつ、「お前の手紙の誤字。神経過敏(繁はちがふ) 絶対(帯ではない) 年寄 (奇はキ)」と、添削してしまう悲しい性。漢学者の家系で「忘れるということがわからない」ほどの秀才、さすが一高東大一直線。つい誤字を指摘してしまった自分にいや気がさしたのか、つづけて「まあ、こんなことは、どうでもいい。 サヨナラ」と結んでいる。かーわうぃーーい。