俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

お芝居にトーク

ロビーの花

久々の秋晴れ。この10月、晴れの日が本当に少ない。朝ごはんは後回しで、洗濯に布団干し、掃除機かけを遂行。ついでに、ふきんも洗って干した。
午後は青山円形劇場奥菜恵長塚圭史伊達暁の3人芝居「胎内」である。渋谷から青山まで走り、開演5分前に駆け込む。息があがる〜。が、走っただけの価値はあった。役者が、ものっそいよろしい! もともと役者狙いでとった公演だったが、非常いよく期待に応えてくれました。オキメグの凄さを再認識。伊達ちん、成長したなあ。
たまたま、『胎児の世界』を読んだあとの観劇で、知人と交わした話題と似たことが出てきたりもし、個人的にタイムリーであった。2度という数字は、まだ偶然のうちか。ロビーには、スタンド花がずらりと並んでいたが、奥菜恵6割、圭史4割で、伊達ちん個人宛のは、いっこもなかった。唯一あったのは、出演者と演出の4人連名で贈られた花だけ (写真左)。ああ、my love 伊達ちん、がんばれ伊達ちん! でも本人気にしてなさそう。奥菜ちゃんには三輪明宏さまから、ひときわ大きな花が贈られておりましたよ。 

芝居のあとは【シアターガイド読者企画「胎内」スペシャトーク】。これは抽選で当たったもの。当初は圭史と伊達ちん、演出の鈴木秀勝さんと3人の予定が、急遽、奥菜恵ちゃんも参加してくれ、4人でのスペシャトークが実現。セリフ入れから稽古の様子、演技に関する考え方などが伝わってきて、おもしろかった。演出家2人の、翻訳劇に対する体感も聞けたよ。

こどもの城開館20周年記念・青山円形劇場+ゴーチ・ブラザーズ共同プロデュース公演「胎内」

 作:三好十郎
演出:鈴木秀勝
出演:奥菜 恵/長塚圭史/伊達 暁
http://eee.eplus.co.jp/s/tainai/ (「e+」より作品紹介、鈴木秀勝×長塚圭史インタビュー)
http://eee.eplus.co.jp/s/tainai_2/ (同上、奥菜恵インタビュー)

10/23 (日)、14:00開演、於・青山円形劇場。ほぼ2時間の上演。古い昔の戯曲である。作者は三好十郎、昭和33年(1958)に物故。この作品「胎内」の時代設定は、戦後2年あたり(昭和22年、1947)のもよう。
戯曲の印象からいうと、いかにも昔の、演劇エンゲキした、観念的な、翻訳調のホン。同時に、生死を論じて状況としては暗いのに、健全なのである。願いに満ちてるんである。終演後のトークショーで圭史たちも言っていたけれど、こういう素朴な健全さって、今の世では出にくそう。敗戦、食うや食わず、価値観の崩壊逆転といったギリの線を経験すると、否応なしに「生きる」ことに目を向けさせられ、生命力を刺激されるのかしら。現代人にも、この力がどこかで眠っていることを願う。

で、役者ですよ。とにかくセリフ量がすごい! 圧倒的。先に「翻訳調」と書いたけれど、ほんと、翻訳もののセリフ劇みたいなのね。出演者3人、みんなモノローグ(独白)調で、会話という体裁に名を借りた、演説、独り言、心情告白だ。
しかも、他の役者が長セリフを回すあいだは、黙っていなければならない。つまり、動きがない。これがまた、むずかしい。目立ちすぎてはだめだし、かといってデクのボウでは困る。沈黙とスポットライトの外れた場所で、己の立ち位置を、観客に見せつづけなくてはいけないのだ。だから観客も、その時メインの役者だけでなく、残り2人がどういう表情で、何をしているかを目配りする必要がある。また3人とも、沈黙の芝居をちゃんとしてるのよ。素晴らしいわね。
個人的に一番よかったのは、奥菜恵ちゃん。一番セリフが自然で、すっと胸に届いた。最初の蓮っ葉なしゃべり方から、最後の虚飾をとり払った声音、ちがうのよー。女優だわ。
一番成長したなあ、と感じたのは伊達暁さん。たまに噛むのが惜しいけれど、最後まで「花岡金吾」をやりおおせた。やっぱり彼は「阿部サダヲ」タイプじゃないかしら。直感で芝居ができる人。奇妙に存在感があるんだよね。今はまだ、役柄によって出来・不出来があるけれど、早くその差をなくしてください。伊達さんの花岡金吾は、どこか憎めない小悪党でした。
長塚圭史くんは、よくやっていたけれど、もっとできるはず。できる子ォにはきびしいんです。トークショーで「今日が5公演目で、もう疲れちゃって」と言っていたから、今日はつらかったのかしら。いやな落ちぶれインテリを好演してました。

筋はこびとして「えええー」と思ったのは、オキメグ演じる「村子」が、真実の愛は……と言い出すところ。花岡の立場ないじゃん。一連の村子の発言は、「過ぎ去った過去の愛は美しく見える」もの、と解釈しました。昔の、汚れを知らなかった堅気の自分、なりたかった自分は過去にある。最期に、自分の美しいところだけを出して生きたい。その象徴が“元彼”なのだろう。だから、元彼に対して、というより、己に向けたメッセージという気がする。それは、圭史の役「佐山」も同様だ。

シアターガイド読者企画「胎内」スペシャトーク

10/23 (日)、17:30開演。本来、1時間の予定だったのだろうが、18:50くらいまでやってくれた。
芝居が16:00頃はねたあと、16:30〜17:30の間に「こどもの城」1階受付にて、チケットを引換え。会場は円形劇場の座席をそのまま使い、15分前に来場、着席。このトークショーは、シアターガイドとe+が、チケット保持者に限って観覧を募集、抽選したもの。自分は観劇日とトークショーの日付が同一だったので申し込んだのだが、来場者の三分の一ほどは「チケットは持っているけれども、まだ未見」の方々だった。来場者数は、舞台の座席数の三分の二弱、といったところ。どれくらい申し込みあったのかな?

トーク参加者は、演出の鈴木秀勝さん〈以下、スズカツと略記)と、役者陣の長塚圭史伊達暁さんの3人の予定が、奥菜恵ちゃんも飛び入り参加してくれて、勢ぞろい。「こういう機会はなかなかないので、ぜひ参加したいと思いまして……」と奥菜ちゃん、うれしいことを言ってくれる。司会は演劇ライターの方 (名前は失念)。司会は本業ではないし、緊張されていたのか、率直に言って進行が下手だった。長塚君が、話をかなり拾ってフォローする。圭史が司会をやった方が、スムーズで面白くなったのでは。
前半は司会者が各人に質問をし、後半は来場者からその場で質問をつのる方式。記憶に残ったものを列挙する。細かい言い回しなどは、うろ覚えです。

●セリフ量が各人ともすごいが。また、昔の戯曲でことば遣いが古めかしいが、そういった点での苦労は。
伊達「こんなにセリフがあるのは、今までの人生で生まれて初めて。覚悟していたから、セリフ覚えは苦じゃなかった、です。セリフの古さ? ……特に、何とも思わない…… (会場、笑い)。言い回しの古さも、むしろ楽しんで覚えられました。
セリフは、相手に向かって言っていても、独白調というか、……。実は相手に向かっていない……独り言みたいなところがあって。みんなモノローグなのかも…… (自問自答風)」(ここで圭史、「こいつ、質問に答えてないですよね」会場、笑い)
奥菜「私は、セリフはなかなか入らなかったですね。ふだんしゃべらないような、昔のことば遣いに慣れなくて……。でも、そういう(時代の)雰囲気は好きで、昔の映画をよく観るんですが、そういうのを思い出したりしました。長塚さんが、参考になりそうな映画を紹介してくれまして、それも観ました。
セリフには苦労しましたが、『村子はどうしてこんなセリフを言ったのかな、何を思って言ったのだろう』と考えるようになってからは、身についた気がします」
長塚「セリフ覚えが一番早かったのは、僕ですね。で、一番いい加減なのも僕(笑)。他の二人、奥菜さんや伊達は、覚えてくると、わりと正確なんですよ。稽古のとき、演出助手の方に「そこちがう」「そこもちがう」と、僕ばっかり言われてましたね」

●若い役者さんたちが経験していない、「戦争」が時代背景にあるが。
長塚(スズカツだったかも)「作品の登場人物の年齢設定と自分たち(の年齢)と、そんなに変わりはないですし」(この質問とちがう箇所だったかもしれないが、念のためメモ)
スズカツ「“戦争”を、設定の一部というか、ファンタジーのように捉えたり、観念的な要素として見るアプローチもあるけれども、そういうふうにはしたくなかった。『実在の戦争を体験した』というリアリティは失わないようにしよう、と長塚君とも話しました。昨日も、そのことを確認しあったんですよ。
あとは、役者の想像力にまかせます。そのための、短い稽古時間ですしね」
伊達「えっ……! そうだったんですか…?(心底、驚いたといった風情で)」

●演出について
長塚「スズカツさんの演出法は、今回の舞台にはぴったりだったと思います。タイトな稽古時間で、早く終わるから、そのぶん自分の時間ができて、よく考えられました。
稽古は、(芝居の) 最初から最後まで、通し1回だけで終わりです。やりはじめたらノンストップ。たとえば途中で、『あーそこ、花岡はそんなんじゃないんだよねえ』などといって、芝居を止めることはありません。ずーっと、芝居の最後までやる。だから『この先のセリフ、まだ覚えてません』とは言えないし、必死に覚えてきます。(セリフを) 言って稽古するうちに、セリフも入ってくる。特定のセリフや場面だけ練習する、ということはなかったですね」
スズカツ「そう、通し1回だけで終わり。短くていいんです。早く帰って、自由時間をつくらないと。サッカーとか観たいじゃない (笑)」
スズカツ氏を肯定するような、圭史の発言にびっくり。あとでパンフを読んだら「スズカツさんはね、『僕は確認&チェックをするだけ』とおっしゃっていましたけど、思っていたよりもいろんな指針を出してくれますね」と書いてあって、これまたびっくり。「The Last 5 Years」のときと大ちがいじゃないの、スズカツさーん? 作品や役者によって、態度を変えてます? 圭史が演出家でもあるから、やる気出しているのか、それともミュージカル「The Last〜」は、手にあまったのか。どちらにしろ、スズカツ氏はやはり好きになれませんでした。個人的好悪を出して、すみません。

●翻訳劇と日本の戯曲とのちがい
スズカツ「先ほどから、三好十郎作品は古いから大変じゃないか、ことば遣いが難しいのではとのご質問がありますが、僕はそう思いませんね。だって、同じ日本人の作品じゃないですか。そんな『昔の作品』たって、読めばわかるでしょう。日本語だもの。言ってる内容、わかるじゃないですか。僕はそれよりも、翻訳劇のことば遣いの方が気になりますね。不自然なとき、ありますよ。翻訳劇の方が、違和感ありますね」
長塚「僕も同じです。日本人の作品は、何が言いたいのか体感できるし、分かるんですけれど、翻訳劇は、ね。セリフにも違和感を感じるときがあるし、やっぱり人種がちがうと、考え方の筋道がちがうんですよ。『どうして、この展開でこのセリフで、こう来るかなあ』と思うことがありますね」

●初日からトークショーまで3日、計5公演をやった感想
奥菜「初日はとても緊張しました。5回やって、どんどん手ごたえが出てきてます。回によって、役者のテンションが違うと、今まで何とも思わなかったセリフが新鮮に聞こえたりしまして……」
長塚「疲れました。ほんっと、疲れるんですよ。こういう(人間の根を問う)舞台で、作品のもつエネルギーがすごいから、やってる方も、負けないように力を出すし、消耗するんですよね。自分がしゃべらないシーンも『休み』というわけじゃないし。最後の方はヘロヘロです。今日はこのあと、休みかと思うとうれしい」

●観客からの質問「三好十郎の戯曲を選んだ経緯を教えてください」
スズカツ「これねー今までいろんな所で書いてるから、それを読めばお分かりだと思うんですけれどね。
最初は翻訳劇を考えていたんだけれど、これ、という作品がなくて。そこで、長塚君から『日本の戯曲はどうですか』と言われて、ああ、それもアリかなと。で、図書館に行って、探しました。そこで何点か目を引いたのを、長塚君と持ち寄って、話しあって。長塚君とお互い『これ、いいな』と思っていたのが、三好十郎の『胎内』だってので、これに決まりました。
……あの、戯曲類を読みたいと思っても、置いてあるところってないですよね。古いものは特に。本屋で気軽に買える現状じゃない。だから、この作品も、本当に図書館に行って、そこで見つけました」

●観客からの質問「今後、こうした古い作品を上演する計画はありますか」
スズカツ「ああー、やりたいですね。実際にそういう企画が立ち上がっているか、ということであれば、それは『まだない』ですが、機会があれば。戯曲の古い新しい、ではなく、『名作』であればやりたいです。僕がやりたいのは、『名作』なんですよね。単純に、やってて楽しいじゃないですか。面白いし。あ、自分の作品の場合は、名作でなくともやります (笑)」

●観客からの質問「劇中、『それはアレよ』『このままアレして』等、『アレ』が頻出しますが、これは実際に戯曲の通りなのでしょうか。あるいは放送禁止用語などの隠語、言い替え?」
スズカツ・長塚放送禁止用語でも言い替えでもありません (笑)。昔は、ものごとをはっきり言うことを忌む風潮があったんですね。たとえば死など、よからぬ、直截言うをはばかるものを『アレ』とぼかしてたんだと思います。戯曲にも『アレ』と書いてありますよ (笑)」*1

●観客からの質問「芝居中のセリフで、奥菜さんが『どうして人は生まれてくるんだろう』というとき、皆さんは、舞台上で、どんな気持ちでそのセリフを聞いていますか」
伊達「えっ……、『段取り』、ですかね。このセリフでは静かにしていて、あのキッカケでどう動いて……とか」
長塚「何も考えてない…… (笑)。いや、この舞台、本当に疲れるんですよ。そのセリフは終盤の方で、もうかなりヤバい状態のときですね。もう、セリフが口から出ているだけ。それに、舞台上で、他人のセリフに聴き入っていると、自分の芝居を忘れる可能性もあるんですよ。それよりも、このセリフがきたらこう動いて、ああしてと、舞台上にいるときは自分の役に集中します。それらしく見えればいい……こんなにぶっちゃけちゃって、いいのかな (笑)。 そのとき何を考えているか、というのは、お客様が見て、感じとっていただきたいことで、役者本人がいうことではないと思いますね。すみません、こんな答えで (会釈)」

すぐ上の質問、最初は文字どおり「人はなぜ生まれてくるのか」と受けとられて、みんな答えに四苦八苦していたもの。伊達ちんは、目を天井に向けて、一生懸命考えていたけれど、その間ずっと沈黙で間がもたず、長塚君が「こいつ、こうなると1時間は考えてしゃべりませんよ」と助け舟を出して、笑いをとった。ナイスフォロー、圭史。
奥菜ちゃんも圭史も「難しすぎて、すぐに回答できない」。質問者が「セリフの根源的な意味ではなく、舞台上で、演じ手として聞いているときの心境を教えてください」と、質問しなおしたのが上記の回答。このあと、2〜3の質問があり、最後にトーク参加者からの一言挨拶が始まった。そこで伊達ちん、
「さきほどの『人はなぜ生まれてくるのか』ですが……」
って、ずっとホントに考えていたよ!
「自分が芝居をやる前、中学2年の頃だったか、『1日1回、人は何かをつくる』、生み出すんだと言われたことがあって。そうかー、って思ってたんですけど。今、自分がこうして役者をやってて、お芝居をさせてもらってて。芝居を通じて、お客様に何かを感じとってもらえたら、伝わればいいな、と思います。それが僕の、1日1回、つくる何かで、お客様にも何かを得てもらえれば……と」
このときの伊達ちんが、ほとんど好きでした。

このトークショー、奥菜ちゃんも、あまりしゃべる方ではなかったけれど、伊達ちんは、ほんっとしゃべらなかった。トークの質問は、役者3名全員に振られるのだけれど、伊達ちんは考えこんじゃって、しかたなしに飛ばしたものもありました。たいてい小首をかしげて天井をにらみ、一生懸命考えてた。その間、沈黙。声音も、芝居のときの甲高いトーンではなく、低めで落ち着いたもの。この舞台とのギャップ、阿部サダヲさんを思い出すわあ。二人とも(伊達さんは、まだ発展途上ですが)演技の言語化はできないけれども、実際に舞台に立つとできちゃう人なんんでしょうね。巫儒のよう。芸能って、やっぱりそうなのね!
反対に、意外とおしゃべりだったのが長塚君。他の二人があまり話さないから、気を遣った部分もあるのだろうけれど、それにしても話がスムーズである。演技を言語化して説明できる人、それが演出家なのかもしれない。それが役者オンリーと、役者兼演出家のちがいだと思った。

*1:個人的な感想としては、それが登場人物たちには、対峙するにはつらいものであったため、『アレ』とぼかして言い合っていたのだと思っている。