俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

芝居強化月間・第5弾「LAST SHOW」

芝居チケット代の振込みを見事に忘れてて、気がついたら流れてた。がーん。もう売り切れだよ。
午後から観劇だというのに、ハナとくしゃみが止まらない。家事はおいといて、ともかく寝る。昼前に起き、第一食からゴーヤーチャンプルー、トマトまるごと1個、ほうれん草と干しいたけの味噌汁。栄養をとり、市販薬を服む。のどは痛いが、ハナとくしゃみは治まってきた。おかげで、なんとか観劇中は静かにできたよ。
さて、本日の芝居は、長塚圭史の最新作「LAST SHOW」。楽日です。書きづらい内容だけど、よかった! 役者たちも、みんなよかった。とても濃い密度の120分間でした。
圭史は、愛が重いタイプなのか、愛がわからないタイプなのか。めんどうだから「愛」と書いたけれど、愛、というより「情」か「想念」か。感想は以下。

PARCOプロデュース「LAST SHOW -ラストショウ-」

作・演出 長塚圭史
出演   風間杜夫永作博美北村有起哉中山祐一朗市川しんぺー古田新太
http://www.parco-play.com/web/play/lastshow/

7/24 (日)、14:00開演、於・PARCO劇場。最新作にしてLAST SHOW。「長塚圭史、30歳にして ラスト・ショウ?! / 本当です。」とは、プロデュースしたPARCO劇場の惹句。
書きづらい内容だけど、よかった! 役者たちも、みんなよかった。とても濃い密度の120分間でした。東京楽日のおかげで、カーテンコールに長塚君も現れたのがうれしい。市川しんぺーさんに、こづかれながら退場していった。かわいーい。

今まで観た圭史の作品は「マイ・ロックンロール・スター」「はたらくおとこ」「真昼のビッチ」「悪魔の唄」。演出だけなら「夜叉ヶ池」。底に流れる家族観や女性観が、なんとなく分かった気になっていたところの、“21世紀の家族劇 (PARCO劇場・惹句)”である。ぴあの特集コラムによると「悪魔の唄」以後、「家族に対する意識が大きく変化」したという。
でも、観た感じ、それほど大きく変わっていなかった気がする。えらそうに書くほど、本数を観ているわけではないので間違ってる可能性大ですが、もし変わったとしたら、それは親子関係に“憎しみ”がプラスされた点ではないだろうか。愛し保護すべき、小さき者に対する異物感。厄介さ。しかし、それも回りまわって、ねじくれた“愛のかたち”に集約されると思う。愛憎、とはよくいったもので、紙一重の裏表。やつあたり、って、好きな相手――所有感のある者にしか、発露されないと思うの。愛、という括りが大ざっぱであれば「浮世のほだし」。捨ててもまつわりつく、血のループ。


物語の終盤に出てくる「ワタシ」、市川しんぺーさんには、やられた! 何度でも起きあがるカメラマンの中島(中山祐一朗)も、舞台上のマジックではあるが、しんぺーさんはすごい。するっと出てきて一席ぶち、ざぶっと還る。板の上の人たちと一緒に、共同幻想を視ている気分。ぬるぬるしてるのに、非常にファンタジックな場面でした。

古田新太さん演じる「渡部トオル」の愛情表現は、下川耿史著『死体と戦争』に出てくる、太平洋戦争・南方戦線の兵士だった老人の話を思い出させた。戦争、飢餓、女、強奪。「戦争」という異常な状況下 (いつ死ぬか分からない、周りは男ばかり)、女に対する憧れと執着心は、かなしいほどである。掠奪してきた現地女性が、逃げようとして捕まった。この辺りの経緯は、読み返すのがつらいのでウロ覚えなんだが、敵意むき出しで反抗する女性に、兵士たちが逆上。俺たちの気持ちがわからないのか! (いや、それは無理)となぶり殺しにし、その後、「渡部トオル」と同じ行為をするのである。それはもう自然な感情の流れで、ほとんど愛しく行われたという。最後に老人は、「戦争中が一番楽しかった」と結ぶのである。

戦争がなければ、老人はそうした感情を知ることはなかっただろう。しかし、彼は戦争に行き、「スイッチ」を押してしまった。
「渡部トオル」は、戦争に行かずに「スイッチ」を押した人間である。彼の愛情表現は異常であるが、しかし、何をもって「異常」とするのか? 人これ皆、押されぬ「スイッチ」を心に持つ。彼と私たちとの、彼我の差は、実はないのかもしれない。