俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

日野で新選組を歩く(午後の部)

土方歳三の銅像(高幡不動)

昨日のつづき。午後の新選組めぐりは「土方歳三資料館」より、13:30〜40頃に到着。
ご子孫の方が自宅を改築した際、離れにつくった一室である。もうほんとに、母屋は思いっきりふつうのお宅なのね。奥様とお嬢さんとおぼしき方が、中の方で説明をしたり、本を売ったりしてました。さすがに歳三人気はすごく、行列はとぎれることなく、次々に人が並びつづける。今年は開館周年を迎え、大河もあり特別な年だからと、通常は年1回の歳三忌しか展示されない、歳三の愛刀「和泉守兼定」が、フェスタの会期中のみ常設展示されている。また、通常は月1〜2度の開館だが「特別な年ですので」、10月は月末のフェスタ閉幕まで、毎日の開館とのこと。
同じく、個人でやられている「井上源三郎資料館」でも思ったけれど、これ、個人でつづけていくのは大変な労力ですよ。開館日には誰か詰めてないといけないし、人手を頼むと人件費かかるし。資料保存にも気を遣いそう*1。入館チケットやパンフの刷物も、ただじゃないもんね。だから入館料を取るわけですが、閑古鳥が鳴いても困るけれど、流行りすぎても気疲れしそうだなーと、勝手に思いました。

話がそれた。ええ、土方歳三資料館ね。8〜10畳くらいの一室を開放し、そこに歳三の遺品や関連のものが展示されています。特別公開の和泉守兼定に、歳三の最期を知らせた手紙、鎖帷子に籠手、鉢金、どーんと横に広がる仏壇と大きな位牌。取材に訪れたシバリョーの写真や、池波正太郎の手紙なんかもあったよ。
上がりかまちの所で関連資料本を売っており、豆本新選組余滴』を購入。出入り口では、一筆箋などを販売していた。最後に、歳三が武士になろうと植えたという「手植えの矢竹」を拝んで終了。当時、矢竹は武士の家に植わっているものだったんですね。理由は矢をつくるため。歳三の家は農家だったから、当時の感覚でいえば「分をこえた」ものだったでしょうな。


資料館を後にし、日野市presentsのフェスタ「万願寺メイン会場」まで、つらつら歩く。農村の面影をほんのり残した、郊外のベッドタウン、日野。生活道路を抜けると、民家のベランダで、小さな子供たちがきゃあきゃあ遊んでいる。平和だ。大河で、平凡だけど幸せな毎日を捨て、でかいことするぞ! と上洛を決めた「すべてはこの手紙」の回を思い出した。
万願寺メイン会場へは14:30頃、10分ちょいで着いた。会場内は、テーマごとに小さなパビリオンに分かれている。まずは「大河ドラマ館」。横長パネルに、大河の役者たちが人物紹介風に並んでいたが、あらゆる登場人物を押しのけて、山本土方がど真ん中・一番大きく写っていたのに笑えた。主役の香取近藤より、扱いが大きいの。さすが日野だね!
NHKスタジオパークにも、出演者たちのサインが多数飾られていたが、ここでも多摩・試衛館メンバーのサインが飾られていた。うろ覚えだけど、慎吾ちゃんのサインには、色紙の真ん中に大きく「力」とあった気が。うーん、先日の土曜スタパ・山本副長&堺総長のトークを思い出しますね。*2
売店で遅いお昼を食べる。野外の「ふれあいステージ」では、親子連れ向けの戦隊ショー。このあと、15:30より天然理心流の演舞披露があるが、その前に「土方歳三特別展」(ポスターの惹句は「英雄降臨」)、ついでに隣の「“PEACE MAKER 鐵 ”展」をチェック。土方歳三特別展では、今まで井上・土方資料館、日野ふるさと資料館で、似たような史料ばかり観てきたため、だんだん本物とレプリカの区別がつかなくなってきました。どこで観たのがホンモノだったか、忘れちゃうのよね〜。
15時を回ると、戸外は肌寒くなってくる。暗くなる前に「高幡不動尊」に行きたかったので、天然理心流の演舞は少しだけ拝見して、フェスタ会場をあとにした。

万願寺メイン会場から「高幡不動尊」までは、バスで移動。16:20前後、京王線の駅「高幡不動」前に到着。JRより京王線の方が、駅前が栄えているのは、お不動さまが近い(=門前町)せいかしら。
駅から高幡不動までは目と鼻の先で、すぐ参道がのびている。高幡不動のお目当ては、佐藤彦五郎らが建てた「殉節両雄碑」。近藤と土方の忠節を讚えたもので、彦五郎が建立を上申してから承認まで、14年を要したと、日野宿本陣で説明を受けた碑である。その隣には、平成7年建立の土方歳三像。朝から夕まで「ここまで来たよ〜」という感慨で、呆然と見上げる。日もかなり傾き、地平線の赤みが強くなってきた。お寺の売店をのぞくと、山本土方の写真が飾られている。ん? 生写真? 隣に島田魁@照英? これって、役柄そのままの扮装で参加した「会津秋まつり」のときの写真では……。「そうですよ」と、あっさり答えが帰ってきた。さらに驚愕の事実が!
「山本さん、ここ(高幡不動)にも、5回はお見えになってますよ」えええええー!
5回「は」、というと、それ以上来ている可能性もある、ということで……。「ふつうにいらっしゃいますね。役づくりのためみたいですよ」他にもどれだけ行ってる、いや通っているんだ、山本君は! あーびっくり。まめぞうだ。この日野めぐりで、あなたの訪れた記念写真を3回は見たよ。
最後にええ話を聞いたなーと思いつつ、高幡不動17:13→新宿17:45着の京王線準特急に乗車。残照の高幡不動をあとにした。

少々、振り返ってみる。1日かけて史跡めぐりをしたが、いやあよく見た。歩いた。史跡のあちこちで待機・案内してくださった、赤い上着の市民ボランティアの方々に感謝です。迷いそうなところに、きちんといらっしゃるんですよ、遅くまで。向こうから声をかけてくださるし。今日は天気がよかったからいいけど、風雨のときは、本当に大変だと思います。
それと関連して、恐れ入ったのは日野市のやる気。「交通安全」「駐車禁止」の立て看板にすら、新選組マスコットのイラストが添えてある。あれ、来年からどうなるのかしら。市役所のHPも「新選組」一色で、アイコンが「誠」、カーソルをあてると「し」「ん」「せ」「ん」「ぐ」「み」……。企画者だれですか。純粋な興味です、教えてください。ついでに、日野市公認とおぼしき、同人テイストのイラストレーターはどういうご縁なのですか。教えておじいさん! アルプスのやまー!

*1:日野市役所HP「市長新春対談2004」に、土方歳三資料館(土方歳三子孫)、井上源三郎資料館(井上源三郎子孫)、日野宿本陣(佐藤彦五郎子孫)のお三方が集まってのやりとりに、その苦労が垣間見れる。明治の頃は逆賊だというので、遺品や資料も長持の底や、箪笥のたとう紙の下に、隠すようにあったとか。「歳三の刀の『兼定』だけは、歳三の本当の魂だといって、長持の底にしまっていたそうです」って、泣けるね。URLはこちら。
http://www.city.hino.tokyo.jp/info/welcome/2004_taidan/

*2:新選組とはなんぞや?」というお題に、山本副長は「力」と書いてた。