俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

日野で新選組を歩く(午前の部)

新選組フェスタin日野」が今月末・10/31で終幕とのこと。
日野は土方歳三の故郷である。新選組創成期メンバーを多く輩出した、ここ日野市は、新選組と縁が深い。大河でまち全体が盛りあがっているだろう今しかないと、新選組めぐりに行ってきた。

新宿8:54→日野9:23着の、JR中央線特別快速に乗車。日野駅前に置いてあるラックから、新選組「エリアマップ」類を引き抜いていると「どちらへお出かけですか?」。
日野のガイド・ボランティアさん*1だった。定年退職されて第二の人生、といった年配の方々が、赤い野球帽に赤い上衣(襟足には白抜きで「誠」と小さくプリントされている)を着て、迷っている観光客を見ると気軽に声をかけてくださる。こちらの予定を聞くと、うなずいて見せ「では行きましょう」と先導してくださった。す、すごい! 流れるように迷いがない!

市民ボランティアの方に案内されて、一番最初に行ったのは「宝泉寺」。新選組六番隊組長・井上源三郎の墓と顕彰碑がある。ここは井上家の菩提寺で、源さんの周りの墓石は、ほとんどが「井上」さんだと、ボランティアの方が教えてくださった。そして墓の脇に置いてあるプラスティックの箱から、慣れた風に線香とライターを取りだし、火をつけて「ハイ」と手渡してくださる。日野市すごい! 恐縮しながらも、ありがたくご焼香。
次は、すぐ近くにある「大昌寺」。新選組を多摩時代から支援した、佐藤彦五郎・のぶ夫妻の墓がある。佐藤彦五郎は日野宿の名主(村長みたいなもの)で、その妻・のぶは、土方歳三の姉。彦五郎の母も土方家から嫁いでくるなど、佐藤家と土方家は縁が深い。
大昌寺は佐藤家の菩提寺で、ここでもあちこちに「佐藤」さんが。彦五郎夫妻の墓にも、やはり線香を入れた箱が置いてあった。墓誌名には、おそらく江戸初〜中期の初代から、この平成の世まで、累代の名がずらーっとならぶ。彦五郎は第12代でした。

彦五郎夫妻の墓に詣でたあとは、彼らが居住していた「日野宿本陣跡」へ。彦五郎さんは日野宿の名主で、我が家を大名の宿(=本陣)に提供する役目も負っていたのだ。
日野宿本陣は、都内に現存する唯一の、本陣建物だそうである。ここで、これまで案内してくださったボランティアの方とお別れ。「ここに置いてある地図をもらうといいですよ。他の史跡にも行かれるならこれこれ」と、最後まで道順を教え、心配してくださった。どうもありがとうございます!
ちょうど10:00、「日野宿本陣跡」の開館時間である。どやどやと団体客が入ってき、何かしらと思えば、“京王バスツアー”の方々だった。新選組めぐりの企画バスらしい。こんなのやってたんですね。
佐藤家のご子孫の方が館長をつとめておられ、その口上が終わったあと、座敷にあがる。この家に、副長はちょいちょい遊びに来ていたんだなあ〜。邸内の説明は、これまた赤い上衣を着た、市民ボランティアの方である。先ほどの方とちがい、あまりおしゃべりが得意ではないようで、つっかえつっかえ部屋の説明をされ、(困ったなぁ)という風情がただよっていて、おかしかった。邸内には、永井尚志が揮毫した掛軸や、太田蜀山人の自筆の狂歌などが飾られておりました。
次はちょっと歩いて、「井上源三郎資料館」。普通の住宅街の中に、寺子屋を移築したという蔵が出現し、そこが資料館なのだった。こちらも縁者の方が館長で、赤い上衣のボランティアの方とともに説明をされる。源三郎の実兄・松五郎が受け取った“近藤が天狗になって困る”手紙や、近藤勇が松五郎に贈った一振りの刀(鞘に、家紋の「井」の字が散りばめられているのが面白かった)、沖田家の文書なども公開。外では土産物といっしょに、舞台「燃えよ剣」の出演者、大河関係者のサインと写真がたくさん飾られていた。館長さんも、しっかり一緒に写ってましたよ。おそらくお嬢さんと思われる、かわいらしい女性が無料でお茶のお振舞いをされてました。なんかほのぼのした資料館だったなあ。

さて、ここまで11:30頃。史跡が近在していたせいもあるが、意外に早く回れたので、当初カット予定だった「日野ふるさと博物館」も行くことにする。今までに比べると少し歩くが、散歩気分で坂道をのぼる。風はさわやか、陽射しは明るく、いい天気。ビバ昼高田文夫のラジオ番組)に出た、山本耕史君の話を友達から聞く。
「絶対に教えない、と言われてた香取君の携帯番号、結局GETできたんだって〜。で、10月10日のクランクアップ以来、香取君と会ってない。香取君は忙しいから、この1年のことが2日くらいになって、僕のことも忘れてんじゃないか。と不安にかられ、留守電入れたり、メールを打ちまくったり。で、返事こない。“でもいいんです、絶対に読んでいてくれてると分かってますから!”ってもう、完璧な片思い状態」
大爆笑! 相手を信用してるんだか、してないんだか。「片思い」「一方通行だ」「山本耕史は乙女」と意見の一致をみる。こんなバカ話をしているうちに、博物館に到着〜。特別展「新選組のふるさと日野展」をやっており、なかなか気合いの入った展示である。副長と局長の手紙をならべて展示し、性格のちがいを見せるなど、ちょっとうまい。
12:45頃、併設の土産コーナーに移動。冷やかしてから博物館を出て、バス停に並んだが、シャトルバス(フェスタ終幕まで走る)の時刻をまちがえ、15分ほど待たされる。その代わり、「今日は非番です」という、ボランティアさんと話すきっかけがあった。ボランティアの方は、鳥打ち帽に小さな「誠」のピンバッチをつけており、天心理念流を習っているのだという。へー!
13:12頃、白と青鼠色のだんだら模様に染め抜かれたシャトルバスが到着。車中で今後の予定を決める。時間的な制約から、本日15時までの開館だという「土方歳三記念館」近くで、降車した。だだっぴろくて車どおりの少ない幹線道路を渡り、住宅街を少し歩くと、「誠」の幟が見えてくる。(この「誠」の幟は、フェスタ用に市がつくったものらしい。新選組関連の史跡の前に2〜3基立っているので、どこでもいい目印になった)
この「土方歳三記念館」で、初めて並ぶ。順番待ちだ! 盛況です。そのもようは以下次号。

*1:新選組フェスタin日野」のため、市が市民から募ったボランティアの方々。ボランティアガイド養成講座を受講した後、ガイドとして各史跡の道案内、展示案内のため、要所要所に立っておられる。2004/08/01現在、日野市観光協会に約80人の方が登録、活躍とのこと。詳しくは下記を参照。
新選組フェスタでガイドボランティアさんが活躍中!(日野市役所HP)
http://www.city.hino.tokyo.jp/info/new/236.htm