俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

【三都物語】 京都で新選組をめぐる

京都・輪違屋

神戸最終日にして、旅行最終日。喫茶店でモーニングをしっかり食べてから、9:23発のJR快速で京都へ向かう。10:12、京都着。まずは壬生村へ行ってきます!
(以下、相当長いです。興味のある方だけどうぞ)


平日のせいか、ロッカーに空きがあり、すんなり荷物を預けられた。案内所でバス路線図をもらい、大阪で入手した京阪電鉄新選組チラシと見比べながら、壬生→島原→西本願寺の順で行こうと決める。
バスに乗って壬生に到着。思ったよりJR京都駅から近い。つい「壬生村」と言ってしまうけれど、今は下京区ですね。新選組隊士が眠る「光縁寺」へ参る。
……と簡単に書いたが、道がわからない! 駅配布の簡単チラシのみで回ろうとしたツケが、さっそく来た。碁盤目状の道は、行ったり来たりするうち、右も左も分からなくなります。OJ斎藤の「京の街は迷路だ」を思い出しますな。それでも、なんとかたどりつき、100円の墓参料を出して参った。山南敬助松原忠司らの墓がある。伊藤甲子太郎や藤堂平助、茨木司らも、最初はここに葬られたが、彼らはのちに戒光寺へ改葬されたとのことだ。
山南さんの墓碑銘には「敬介」とあった。一番隅に、ひっそりと「沖田氏縁者」の墓がある。過去帳には縁者とだけあり、名前の記載はなかったそうだ。いいひとだったのでしょうか。

光縁寺で、壬生~島原周辺の詳しい地図をいただくも、距離感覚がつかめないので、やっぱり道行きには苦労した。通りが細かすぎて、地元の方に伺っても困った顔をされることが多い。まだ、誰でも知っている観光地ではないのだな、と思う。
そのうち、地図の見方にも慣れてきた。意外に縮尺は狭いようで、距離を遠く考えてはいけないことが分かる。そら、旧前川邸(非公開)に着いた。壁だけ拝んで、「新選組遺蹟」の石碑が立つ八木邸(公開)を拝観する。ここは新選組の、最初の屯所だったのであります。
八木邸内部は、写真撮影禁止。ガイドの方が八木邸と新選組の解説をしながら「こちらが刀傷」「これが芹沢鴨さんが蹴つまずいた文机」「このへんに(と、手で四角くくぎって)小さい為三郎さんが寝ていたんですが、そこに鴨さんが倒れ込んできまして……そのままでは危ないというので、頭の方に寝ていたお母さんが、為三郎さんを布団からひっぱり出したそうです」などと話してくれる。邸内拝観のあとは、八木邸がやっている和菓子屋の菓子とお抹茶が出てきます。ここの和菓子は、おいしいのでおすすめ。

その後、清河八郎が「将軍警護なんかしないもんね、やっぱ尊皇でしょ」とぶちあげた新徳禅寺(非公開)を通り過ぎ、壬生寺へ。八木邸から、めちゃ近です。
壬生寺は、このへんではかなり敷地のある寺だった。新選組隊士の眠る「壬生塚」参詣に100円。近藤勇の遺髪塚に芹沢鴨一派、河合耆三郎、葛山武八郎、阿比原栄三郎 (阿比留さん)、池田屋殉死の隊士らの墓がある。芹沢さんのお墓が、思いのほか小さい。光縁寺でも思ったけれど、昔の墓は、平均して今より小さめなのかも。それにつけても、会津の大きな近藤勇の墓(土方建立)を思い出しますね。今のところ、あれほど念のこもった場所を見ていません。京都のお墓は整備されたり改葬されたりで、明るくきれいになっているせいかしら。

見どころが密集した壬生をあとに、島原まで歩く。ほんとに10分、15分で着いた。この近さは遊びに行くわ。行っちゃうわ!
島原西門跡を過ぎ、当時の揚屋「角屋」へ。ここで鴨さんを酔わせたり、伊東かっしー・OJ斎藤・ぐっさん永倉が新年会を……。内部見学できるが、2階見学の時間が折りあわず、外観だけ見て先を急ぐ。少しいくと「輪違屋」だ。現役のお茶屋さんにつき、内部は非公開。風情のある建物である。写真もここ。
「誠の湯」を横目に「島原大門」をくぐり、てくてく歩いて西本願寺に出た。こちらも島原から10~15分程度。島田魁が、五稜郭敗戦後、京都に戻り西本願寺の守衛になったそうで、このあたりに住居があった由。だたっぴろい境内をちらっとのぞいて、近場のラーメン屋に入って14:30、遅めのお昼。

西本願寺の角、大通りを渡って1筋2筋で、油小路に出る。「油小路の変」ですよ!
これも細い通りで、最初は通りすぎてしまったくらい。
小さなお寺さんの「本光寺」門前に、「伊東甲子太郎他数名殉難の地」の碑が立つ。案内板に「パンフレット1部50円、インターホンを押してください」とあり、少し迷ったがインターホンを押した。お年を召した、小柄な庵主さんが出てきてくださる。伊東が絶命時に倒れて「この奸賊輩!」と叫んだ石碑は、保護のため山門を移動して寺内部にあるという。お願いして、見せていただいた。
細長い石碑で、何か流れるような字で刻まれている。「なんと書いてあるのですか?」「南無妙法蓮華経、とあります」日も斜めにかげり、木影さす境内で、本日一番の念を感じた場所であった。合掌。

油小路からJR京都駅まで、まっすぐ歩けば10分かかるかどうか。このあたり、どこもそこそこの近さである。
時刻は16:00前。伊東甲子太郎の「御陵衛士」本拠地、高台寺の「月真院」へ行こうか、どうしようか。距離感がつかめないので、時間がはかれない。そのうち16:00を過ぎてしまった。うーん……行こう!
高台寺・月真院は東山のあたりで、八坂神社と清水寺の間にある。バスで10分ちょい、八坂神社(バス停名は「祇園」)で降りる。このあたり、いかにも京都な風情で、
お店屋さんも多い。下河原通りから石塀小路に入り、石畳の道を歩くと、お品書きに値段が書いてない高級京料理屋さんが軒を連ねている。あ、今書いてて、自分の庶民ぶりに涙が……と、涙をふく間もなく、月真院に着いた。
門前に「御陵衛士屯所跡」との石碑。昭和43年の建立とあり、その頃新選組が流行っていたのかしら、などと失礼な想像をしたが、大間違いでした。昭和43年は「明治百年」だったのよ。おそらく、その記念行事のひとつでしょうね。
月真院を拝み、高台寺にのぼる。参道からかいまみえる、八坂の塔が夕焼けに美しい。のぼりきり、山門をくぐったところで「ごぉ……ん」と鐘の音が響いた。17:00だ。境内の茶店が店仕舞いをしている。しかし山門が閉まるまでは間があるようなので、小高い境内から赤く染まった京都の街を見やる。秋の夕暮れは早い。まだ明るいうちに降りて、バスに乗る。17:50頃、JR京都駅着。地下街のお土産コーナーで、新選組関連がどれくらいあるかをチェック。八つ橋が新選組包装紙になってたり、したよ。
地下街の「イイダコーヒー」で珈琲を飲み、足を休めてから新幹線の人となる。3泊4日、充実の三都物語でした。