俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

会津秋まつり、藩公行列(寄る)

会津名物・みそ田楽。うまいよ

写真は、会津名物のみそ田楽。右から餅、生揚げ、身欠けニシン、上はこんにゃく。右端の餅が半分なくなってるのは、食べちゃったから。くー、うまっ! 串にみそをつけたのを、そのままいろり端にさして焼いてます。また会津に行くことがあったら、食べよっと。

さて、昨日(9/23)のつづき。藩公行列を楽しんだあと、バスに乗って「奴郎ヶ前」下車、天寧寺へ。近藤勇の墓に参る。「流山で近藤斬首」の報を聞いた土方歳三が、会津候に願い出て建てた墓である。
天寧寺は、会津では格式の高い寺で、小高い山の中腹にある。うっそうとした緑におおわれ、寺入口から、さらに5〜7分ほど参道を歩く。あまり手の入っていない、土と石のごろた道で、勾配もあり、けっこうきつい。所々に落ちた栗や葉っぱを踏みしだいて進むが、なかなか着かない。昔はもっと悪路だったであろうこの山道を、足を負傷していた土方さんが、「毎日」現場監督のために通っていたなんて……。近藤勇にかけた思いの強さを実感。思いというより、念ですね。
その愛執凝りかたまった、墓にようよう辿りついた。当時の普通サイズより一回りも二回りも太そうな、大きな墓石。またも土方の念を感ずる。高所の墓からは下界が一望でき、繁木の下枝を払えば、かなり見晴らしのいい場所だ。木深い中に明るい陽光がきらめき、霊場らしい独特の雰囲気があたりを払う。写真でだけだと、この“念”は伝わってこないね、実際来てみないとわからないものだね、と友達と言い合う。

お次は「会津武家屋敷」。会津藩家老・西郷頼母(さいごう・たのも)家を復元したお屋敷だ。なぜ「復元」かというと、戊辰戦争の際、会津城下は戦火で焼かれたから。西郷邸も火に落ちたが、後世、その見取り図が発見され、その通りに復元されたという次第。
ちょちょっと軽く見て回るつもりが、内部は細かく道順が決められ、矢印の通りに動くしかない。少しでもルートを外れようとすると、行き止まりだったり、“順番は○○が先です こちらは○○の後にご覧ください”との立て看板。「ならぬものはならぬものです<」といった風。さ、さすが会津

そんなわけで、みっちり全部見せられた。見ごたえ充分……というか疲れたよ…。しかし、この武家屋敷には佐々木只三郎さんのお墓この日記ブログ2004年9月16日記事があったのです! ご縁ですね。心ばかりながら、参ってきました。

思いのほか、迷路構造の武家屋敷に時間をとられたので遅めのお昼。武家屋敷の近くにあった、みそ田楽の店に入る。ここで食べたのが、冒頭の写真です。14:10すぎくらい。藩公行列の帰城予定が14:45、帰陣式が15:00だから、ちょっと気ぜわしい。とはいえ、最初の出陣が30分押しだから「帰城も15時すぎなんじゃない?」と楽観的に考え、まずは食事。気がゆるみ、ビール一本頼んだら大ビンで出てきた。これで550円前後と、商売っ気のあまり感じられない値段に、ちょっとほのぼの。最初は「大ビン1人じゃ、残すかもなー」と思っていたが、ついつい飲んでしまい、30分後にはカラでした。自分がおそろしい。
さあ、最後に鶴ヶ城へ戻って、帰陣式を観ますよ〜。つづく。(長いよー!)