俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

ぼーっと歩いたら、霊園に出てた

天気に誘われて戸外に出た。電車にゆられ、鶯谷で降りる。15:30を回ったが、まだ陽射しが強い。寛永寺を流し、ぶらぶら歩きするうちに、谷中霊園に出た。
この墓地は、ひろびろと明るい。八重桜の花びらが、道に濃いピンクを落としている。角に「←徳川慶喜公の墓」と、簡単な貼り紙があったので、その通り行ってみた。割合すぐに見つかった。

将軍家の菩提寺は芝増上寺と上野寛永寺、この二寺に徳川霊廟はある。日光に眠る家康と家光をのぞき、歴代将軍で徳川霊廟に葬られなかったのは、慶喜ひとりである。
慶喜公の墓所寛永寺の飛び地だ。都営の谷中霊園と近接して、区画の境がわかりにくいため、最初は菩提寺からも出されたのかと思った (失礼!)。

霊園をぬけて千駄木方面へ歩く。谷中霊園の墓地は、ナントカ博士とか勲○等ナントカカントカとか、肩書きも麗々しい昔風なお墓が多いが、そのなかに「岡山縣士族 某」というのがあった。肩書きは「士族」のみで、でかでかと大きく彫られている。出身と出自を刻むよう命じた、故人のプライドの在りどころが察しられて、なんだかにやっとしてしまった。