俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

「虫明亜呂無」は本名です(由来はアロマティック)

池袋でみた桜、第2弾

写真は、この間の日曜に撮ったのと同じ桜。8分くらい咲いてました。

https://orenade.hatenadiary.jp/entry/20040318に書いた、虫明亜呂無さんの本が図書館にあったので確認してみた。まず、スポーツと恋愛は似ている*1、という話から始まる。

女子の運動選手の場合は、これまたまったく違うんです。今こうやって風景論、それから一種のリズム論をやっているけれども、彼女らにとってはスポーツのすべてがまさに恋愛なんですね。
たとえばあるコーチがいると、この男が自分を一体どう見ているのか。同僚が八人いるけれども…(中略)…ことによるとこの男は妻子を捨てても自分と一緒に死んでくれるかもしれない、という気持がない限り女子選手は絶対に大成しませんね。女子の場合はスポーツをすることは恋愛をすることそのものといっていい。
(略)
(女子80メートルハードルの選手を育てたコーチの話になり)ストレートな話をすると、何カ月後のレースにそなえてメンスまで変えていくわけですね。だから肉体の秘密はもとより、精神の秘密、彼女をめぐるすべての秘密をすべて掌握していないとだめなんですね。女の選手の方には、逆にあらゆる秘密をこの男に託したという何ともいえない恍惚感がある。
(中略)…トレーニングというのは、つらい仕事で一銭の得にもならないことですから、その男と一対一になって、ともに落ち行く先は何とかというぐらいの覚悟がいる……
 ──虫明亜呂無『肉体への憎しみ』(ちくま文庫) より、
  「対談 スポーツ・人間・風土 VS井上ひさし

対応する部分だけ抜きました。上記対談中では、特に男子選手の特徴には触れていなかった……ありゃー。ほかにも、選手の調子がいいときとわるいときの風景の見え方とか、おもしろい事柄が多々書かれてあります*2


引用が思いのほか長くなったので割愛したけれど、女子のもうひとつの特徴として「肉体の重さをいかに捨てるか」ということに大変な努力をしている、とありました。これは第二次性徴期を迎え、男女間の虚しさを無意識にでも悟った女子が、「しかし虚しいだけでは済まない、それをどう満たそうかというときに、まず肉体の重さをいちばん簡単に捨てられる」スポーツの世界に入るとのこと。
世俗の恋愛から身をへだて、女性性のしばりから自己を解放した先にあるのが、“スポーツのかたちをした恋愛”であることに、なんだか業を感じます。

*1:「精神も肉体もきわめて不安定で、絶えず揺れ動いている。ただし、その不安定な二つのものが、ある瞬間だけピシッと合うと、非常にいい按配になる。したがって、スポーツというのは恋愛とすごく似ていると思いますね」←同前書より引用。

*2:あと2冊、同じ虫明さんの選集『時さえ忘れて』『野を駈ける光』も、ご興味のある方はどうぞ。現在品切れ中らしいので、図書館になるかしら。