俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

滅びゆくもの

大奥(原作:よしながふみ

金曜の夜、最終回を、知人と観てまいりました。
時は江戸時代、男子のみが罹る流行病「赤面疱瘡 (あかづらほうそう)」で男性人口が激減し、男女の役割が逆転したパラレルワールドが舞台の映画。つまり、将軍や大名は女 (公称は男性名) で、大奥に集められたのは男 (大奥内では源氏名)。
原作は、白泉社の隔月刊誌「MELODY」に連載中の同名漫画で、よしながふみ著。「西洋骨董洋菓子店〜アンティーク〜」「フラワー・オブ・ライフ」「愛すべき娘たち」「きのう何食べた?」なども彼女の作品。ストーリーテラーで、構成が巧みな漫画家さんです。職人肌と申しましょうか、落としどころが綺麗すぎるくらい。

そんな原作漫画の実写化です。最初に断っておくと、私は原作漫画好き。そして映画版の主役・二宮くんは苦手。以下はそれらを割り引いてお読みください。

映画じゃなくて、改変期の2時間ドラマでしょコレ。もうねー、みんな江戸コスプレにしか見えなかったわ。新春かくし芸大会の豪華版かと思ったですよ。あんまり過ぎて、途中何度か笑いそうになっちゃった。
ほとんどの出演者が、時代劇の立居振舞、挙措がなっておらず、目も当てられませんでした。侍がテレンコ歩くなあああ! 時代劇で現代の歩きかたしてどうすんの。みーんなパッタパタ、バタバタ歩き。どこでも棒立ち。上半身が不必要に揺れるの止めなさい。腰が高い足が高い、足音も高い。摺足でスッスッと音もなく歩こうよ。体幹もなっとらん。ふにゃふにゃした動きが多すぎる。大小を差している重みが感じられない。腰のものは竹光ですか。
それと、最近の時代劇で目立ちはじめた「前髪あり」。ほんっと、これだけで一気に嘘くさくなるから止めてほしい。水野(二宮和也)が大奥に上がる前、まさに今風の前髪なの。申し訳程度に載せている髷が、明太子か魚肉ソーセージにしか見えず困ったよ。その後の月代姿のほうがまだよかったです。
台詞回しも現代のまま。要するに発声法ですね、みんなノドでしゃべって、腹から声を出していない。主要キャストに時代劇役者が一人もいないのが頷けます。一人でもいたら、呼吸が合わずにそこだけチグハグになりそう。他の出演者の粗も目立つだろうし。

そして、何よりも痛いのがキャスティング。水野を二宮くんがやると聞き、まっさきに「違うだろ」と思ったが、予想と実際が覆るのはままあること。いざ観てみたら「二宮くん大当たり」と言っちゃったりして……と思ったりもいたしましたが、いやあ心配することなかったです。予想通り、いや予想以上に予想通りでした。あれが「水野」って、ねーわ。
水野は美丈夫の偉丈夫なんですよ。上背もある、きりりとした男前で、気っ風あふれる江戸っ子ですよ。少年体型で優男系の二宮くんでは、キャラがどうでも逆方向。明らかにキャスティング・ミス。私は二宮くんが苦手ですが、あまりの合わなさに、いっそ同情しました。彼が輝くのは、守ってあげたくなるような、けなげキャラだと思うんですよねえ。倉本聰とか山田太一とか。適材適所、ということばを痛感しました。
思いつくままダメ出しをすると、まずベランメエ調が浮いている、お侍で剣の達人なのに猫背、全然強そうに見えない、濡れ場ができない。濡れ場のぎこちなさは、ちょっとびっくりするくらいです。堂々とやってくれないと、観ているこちらのほうが恥ずかしくなっちゃうよ。このへんも、本人のキャラと関係あるのかしらん。
ベランメエ調では、脚本にも一言。大奥に上がってからもベランメエでタメ口きくのは、ちょっと違うんでないかい。先輩の杉下にもしょっぱなからタメ口って、ただの空気読めない子だよ……。水野は礼儀を心得てます。

以下、演出その他雑感。
監督は「木更津キャッツアイ」の金子文紀。時代劇映画として中途半端でした。やはり、餅は餅屋だわ。どうしてこのスタッフ、キャスティングで映画にしちゃったのー、テレビの2時間ドラマでいいじゃない。これほど時代劇時代劇、と言いたくなるのも、映画だから。我ながら不思議ですが、スクリーンではなくテレビ画面だったら、ここまで文句でないと思うんですよね。
気になった演出は下記の通り。

  • 杉下が水野に「俺たちは、ここで飼われている金魚と同じなのさ」と言う場面。鉢のなかで泳ぐ金魚を手前にぼかし、背後の水野にピントを合わせている。そのままタメているから、てっきり水野から金魚に焦点を移すと思いきや、そのまんま固定で意味不明。
  • 吉宗(柴崎コウ)を男勝りに描こうとするのは分かる。が、結果としてずーっと同じ演技。いつもせかせか歩かせているが、しょせん現代人のままで、パタパタ足音がうるさいし裾が割れ気味。あれでOK出すって……。
  • BL撮りが下手。ギャグにしか見えない。
  • 衣裳がださい安い。制作費安いの? 二宮くんが中臈になったときの衣裳など、もう少しセンスあるのを見繕ってあげて。お信(堀北真希)の簪、もしや全部使い回しの1本きり?
  • 最後の最後で、堀北真希が振り向くシーン。なぜにスローモーションかける。あれで一気にテレビくさくなった。

個人的に討死した今回の映画ですが、なんとか救われたのは、杉下役の阿部サダヲと御伽坊主の浅野和之。配役を聞いたときは「杉下がサダヲちゃん!?」とハテナだったが、これは「あり」でしたね。サダヲちゃんの杉下がかっこよく見えるとは。浅野さんの御伽坊主は出番が少なく、役者のレベル的にもったいない使い方でしたが、きっちりいやらしく演じてくれて画面を〆てくれました。さすが!

演出というか謎なのが、美男を集めた大奥のはずなのに、全体に残念な感じなのはなぜだろう。吉宗が「選りすぐりの美男50人を集めろ」と号令して集合をかけるシーンでは、あまりの残念っぷりに「これが…選りすぐりの美男……だと……?」と、「カイジ」の福本伸行になりましたよ。
しかし、男だらけの大奥とは、実写で見るとインパクトありますね! まじむさい。大奥の奇形性を出したかったのか、年増多めの残念層が厚く、それらが着飾ったり若作りしているから、きもさも倍増です。これが実写と、絵でマジックをかけられる漫画との違いか。
数少ない女性がスクリーンに出てくると、ほっとするんですよ。昔、ものの本で読んだ「男性刑務所に女性を近づけると男は和やかになり、女性刑務所に男性を近づけると女は殺伐となる」という記述を思い出した (うろ覚えです、本当かなあ)。

そんなわけで、内容がどうこうよりも、パラレルとはいえ時代劇なのに、お江戸コスプレにしか見えない現実に打ちのめされた一作でした。時代劇を撮れる監督もいなくなり、時代劇役者も高齢化の波。本格時代劇はもはや、風前の灯火なのでしょう。灯を絶やしたくはないものですが、悲観的にならざるを得ません。