俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

沖縄・1days─北谷 (ちゃたん)

壺屋やちむん通りにて。シーサー君。

今日から、沖縄2泊3日、那覇ステイである。同行者はマイル・チケット使用で、のんびり構えてたら、あっちゅーまに都合のいい便が埋まっていたそうだ。私はやっすい朝夜の便にして、同行者とは宿で落ち合うという、少々変則的な旅である。
朝イチのスカイマーク511便、羽田06:55→那覇09:45で、一路南へ。早朝で寝ぼけていたのか、羽田でさっそくすっ転ぶ。重い荷物に足がもつれて、やばい、と思い、重力に逆らわずスライディング。ずざー。床が絨毯でよかったわー。膝の強打と、掌の軽い擦りむけで済みました。どうして、旅先で転ぶことが多いんだろう。絆創膏をばっちり4枚持っててよかった。

那覇空港からは「ゆいレール」。2003年開業と、まだ新しいモノレールだ。2両仕立ての車輌は、窓が広く、風景を見やすくなっている。駅のチャイム音も、沖縄っぽい音階。
宿にチェックインし、荷物だけ預けて、ロビーでひと休み。お昼は「牧志公設市場」の食堂2階で決まり!

パパイヤチャンプルーとオリオンビール、写真にはないけど、グルクン(沖縄の地魚)の唐揚も。今日は鮮魚売場が月2回の公休日で、食堂のメニューからの注文。

公設市場の周辺は、総菜市場や衣料市場など、こまかい店がアーケードを組んで連なっている。松尾市場の天ぷら屋さんで、サターアンタギーを4つ買った。野球ボールほどの大きさで、1個40円なり。特に行先を定めず、ぐるぐる迷いながらアーケードを歩く。土産ものの値段チェックや、薬局で湿布を買ったり。
壺屋やちむん通りに出た。沖縄は実は4回目だが、土地の焼物「壺屋焼」が好きで、いっつも来ますね。4年ぶりに見ると、なんとなく、前より店が減ったような……。思い過ごしかしら。少し雰囲気が変わって、整理されたような印象。やちむん通りの裏手、石町通りの小径で、オレンジ色の小さな実が、軒先からこぼれていた。さらに歩くと、飲み屋街。たぶん寂れてるんだろうなあ、活性化を呼びかける貼紙を見かけた。写真はスナックの看板。「志情」─しなさけ、が、しなさ“き”に母音変化している。琉球語は母音が「あ/い/う」の3つしかなく、「え/お」は、「え→い」「お→う」に変換されるのですね。わー、大学の授業で習った通りだ!

夕方、合流した同行者と北谷(ちゃたん)へ。那覇から上へ、車で小一時間くらい。フリマ「ナイトマーケット」と、複合施設の美浜「アメリカンヴィレッジ」をのぞきに行く。
行きのタクシーの運転手さんが話好きで、楽しい道中。沖縄北部の島出身の人だった。ときどき、なまりがきつくて言っていることがわからない。そのたびに聞き直す。と、むこうも「……サー」を急に「ですよ」と言い換える。でも次には「サー」。そんな気のいい運転手さんに教えてもらった沖縄事情。
・本土の人は車の運転が荒い。沖縄人はのんびり、マナー良好。
ゆいレール、それほどタクシーに影響なし。
・本土からの沖縄移住ブーム、やまず。本土の人用に、マンションが続々と建っている。
・移住は、仕事にひと区切りつけて小金を貯めた50代前後が中心。2〜30代は、仕事がないから続かない。
・離島の玄関口、石垣島も人気で、土地が高騰。
運転手さんは、しきりに「どうして沖縄に来るの」「東京の方が面白いこと、いっぱいあるでしょ」と言っていた。急に改まったかと思うと「お客さんたち、独身?」と直球で聞いてきたり、いやーいい人だった。那覇でおいしい飲み屋さん教えてください、と言ったら、とたんに困った顔をして「……いやあ、俺が行くようなとこは、あまり綺麗どころはいないからサー」いえ、綺麗どころはいなくていいです。

ナイトマーケットの手前で降ろしてもらう。ちょっと規模の大きいフリマで、洋服、靴、家の押入れで眠っていそうな玩具や陶磁器が並んでいた。モノよりも、食べ物の出店のほうがおいしそう。ホットドッグやタコライス、タイ料理の屋台など。そこから、美浜のアメリカンヴィレッジまで歩く。すでに陽は落ちて宵闇である。

アメリカンヴィレッジは、横浜のみなとみらいを小型にした感じ。いや、ららぽーとか。このあたり、若人のデートスポットらしい。雰囲気だけつかんで、近くの居酒屋へ入る。写真はナーベーラーチャンプルーとゴーヤチャンプルー、グルクンの刺身。ナーベーラーは「へちま」で、味付けは味噌。グルクンの余ったところは、骨せんべいになって戻ってきました。んまーい。
帰り道、流しのタクシーが10分たっても通らない。無線タクシーの世話になるか考え始めたときに、目の前を那覇行のバスが! 乗ったの22時くらい。まだ走ってたのね。宿に戻って、明日の朝ごはんとオリオンビールを購入。初日の夜は長いのだ。