俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

ツとティ

長塚圭史の完全素面日記」の、「パンティみたいな花」が面白い。「しかしどうして男はパンツなのに女はパンティなのだろう」と、その解答に、語尾の「ツ」と「ティ」の語感をもってくる。確かに女は「ティ」っぽいね。スキャンティも「ティ」だもんね。しかし、女が「ツ」をはく時代がある。子供時代だ。
小学生女子はパンティをはかない。パンツだ。男女ともにパンツなのだ。つまり、子供は性別をもたない。パンティは、オトナのお姉さんのものなのだ。それが証拠に、「ブルセラパンツ」と「ブルセラパンティ」でぐぐると、162,000対89,200でパンツの勝ち。清純な高校生女子の下着は、体は育ってもカテゴリ子供のパンツでないといけないのです。まあブルセラに売る時点で、清純とは言えないけど。そこのところ、男はうまく目をつぶって夢想するんだなあ。
夢。そう、夢。
上記の「ツ」「ティ」の世界なんざ、しょせん、男の夢、男の願望、男のロマン。大いなる幻想である。だって、日常会話で「パンティ」を使う成人女性、知らないもの。「梅雨時で、パンティが乾かなくて」なーんて、言わない言わない。ふつうはパンツ、下着、肌着、そんなところじゃない? 少しよそいきで、アンダーウェアかな。どんどん色気から離れていくなー。
「パンティ」は、むしろ男性が使うことばかもしれない。そこにあるのは、女性への憧れと、こうあってほしいという願いである。おそらく敢えて、女はパンティと書いた圭史はかわいいな。