俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

自尊心て大事

上野の森を突っ切って

ふたたび写真は関係ありません。上野の森をつっきる道路。両脇の、雨に濡れた重たげな緑がいいわ〜。
夜のNHKスペシャルワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」を観た。働いても生活保護水準以下、“働く貧困層”と呼ばれる、ワーキングプアを特集したもの。
昨年あたりから、格差社会という単語をよく聞くようになり、それに類する記事も多く見かける。個人的には、格差というのは急に出てきたものではなくて、今まで不可視だったものが、この10年の不況で可視化された部分もあるのではないかと思っているが、この番組を観ると、ワーキングプアは、雇用形態の変化や、勝ち組負け組ということばが浮上してきた社会の変容が大きく与っているようにも思われた。また、雇用形態が変わったのに、雇用条件の年齢の壁(30歳を過ぎると、単純作業の業務請負でも求人数が少なくなる)は変わらない。ここにも問題があるのではないか。経験値等(年齢)による賃金の差がないのなら、年齢制限には意味がない (肉体労働は、加齢による衰えで、作業効率は落ちるかもしれないが)。
都会に暮らす、若年層の男性2人は、ともにホームレスだった。田舎で事務の仕事にあぶれた男性(34歳)は、警備員や工場業務請負の短期就労しか見つからない。職を求めて東京に来ても、紹介されるのは同様の仕事。30を過ぎると求人は極端に減り、少ない収入から貯めた貯金も使い果たして、面接に行く交通費すらない。昨年のNHKスペシャル「フリーター漂流」の続きを観ているようだった。(「フリーター漂流」感想はid:orenade:20050205を参照)
もう一人の男性(35歳)は、家庭の事情で親が出奔、高校時代からアルバイトでの自活を余儀なくされ、就職活動の機会を逸する。今は雑誌拾いで、その日暮らしの毎日。先の男性よりも、こちらの方が小さい頃から苦労している感じだが、不思議に受ける印象は明るい。見た目も若いし。達観しているのか、それとも性格的なものなのか、とにかく不思議な印象だった。

また、地方の疲弊にも驚かされた。町一番だった目貫き通りはシャッター通りと化し、年収が24万円(!)にまで落ち込んだ仕立屋の主人。作物の価格が上がらず、経費を差し引くと赤字で税金が払えない農家。自分の職業に誇りはあるが、食えない。田舎でスローライフとか、LOHASとか、ちょっと隔絶した世界だわ。人と人とのつながりがあるのだけが、救い。

番組のキーワードであるのか、「普通」ということばが何回か出てきた。普通に暮らしたい。普通の家庭がほしい。この「普通」はきっと、昭和の中流家庭生活なんだろうなあ。番組中、会社をリストラされた50代の男性(GSのアルバイトを3つ掛け持ちしている)が、2人の子供の大学費用は、なんとしても用意したいと繰り返していた。大学に行く以外でも、才能を生かす道はあるのでは、と思ったが、いったん「普通」からずり落ちてしまうと、「普通」のスタートラインに立つことが重要になるのかもしれない。自らも大卒である50代の男性は、子供が進学しないのではなく、「できない」ことを恐れていた。

以上、まとまらない感想でごめんなさい。地方の状況については、下記の記事を思い出しましたので、ご紹介いたします。
縦並び社会・格差の現場から:時給は288円(「毎日新聞」2006年1月4日付記事)
→秋田と中国大連のコールセンター事情を取り上げたもの。東京では1300円前後かかる時給が、秋田では850円。しかし、これでも現地では高い時給なのだ。「電話応対のストレスで1年以内の離職率が9割ともいわれる業界で、同社は1割」「法律に基づく秋田の最低賃金608円は青森や沖縄と並んで全国一低い」。標題の時給288円は、秋田ではなく、中国大連。