俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

「でもね」

外は快晴。なのに午後イチから夜にかけて、屋内での予定がばっちり。久々に映画と芝居の2本立て。
13:50より、映画「THE有頂天ホテル」。
18:30より、芝居「月影十番勝負 SASORIIX 約束」。
三谷さんの芝居でもなくドラマでもなく、映画を観るのはこれが初めて。三谷さんらしい作風。
芝居の「月影十番勝負」は、女優・高田聖子さんの企画ユニットで、今回がファイナル公演。「猫のホテル千葉雅子さんの脚本、初体験です。初チバだぜ。池田成志さんの演出は、これが3度目かな。「月影十番勝負」では2度目。聖子ちゃんを脱がせるのが好きなの? 宮崎吐夢さんが観に来てました。平岩紙ちゃんも見かけたです。

THE有頂天ホテル

三谷幸喜さんの監督映画第三作目、1月14日公開からロングラン中のもの。三谷さんの映画を観るのは、これが初めて。
前評判通り、面白かった。面白かったけれど、「けれど」「でもね」がくっついてしまう。「でもね」から先がまた長いんだ。

これ、映画より舞台の方があってると思う。
映画だと、「甘え」と「押しつけがましさ」が鼻につくんだよね。筋展開がご都合主義で、面白くするためだからいいよね、という姿勢が甘えてる。ホテル業界に取材をしただろうリアルさとセットの本気度と、それと対照的なドタバタが融合してない。たとえば、伊東四朗の総支配人が、顔の白塗りドーランで逃げ回るシーン。無理。戸田恵子に「植木の蔭に隠れてるから、洗顔フォームを持ってこい」と言っておいて、どうして廊下の中央にでーんと立ってるのん。客の若い女性に「キャー!」と悲鳴をあげられ、逃げまどう展開だけど、女性も羞恥心ありますからね、あんな大声出さないんじゃない? たかが白塗りドーランごときで。好奇心旺盛な小さな子供、もしくはアヒルに見つかって追いかけられる、その方がリアリティないかなあ。そういう詰めの甘さが気になります。
随所に笑いの小ネタがしかけてあって、それはそれで面白いんだけれど、ときどき押しつけがましく感じてしまう。「笑い」ポイントじゃなくて、「笑え」ポイントなんだよね。笑いの強制は冷めます。そういうところは、自然発生の「たくまずした笑い」ではなく、「笑いのための笑い」なのがほとんど。役所広司の副支配人が、嘘と勘違いの果てに鹿のかぶりものをするとか。別れた妻の再婚相手が、浮気相手の登場に泡食って逃げ出すとか。くねくねダンス流出の憂き目に会うとか。なーんか、笑いがいやらしい。カラッとしてないのね。
三谷さんは「靴を履いたままでいられるところ」を舞台に選ぶ、靴を脱いで畳の和風はカッコわるいと、テレビで言っていたけれど、西洋のカラッと乾いた笑い(たとえばビリー・ワイルダー)をやるには、本質的に湿っているんじゃないかしら。だいたい、「泣かせ」が入るでしょ。人物設定の甘さも気になるところ。西田敏行の歌手が、テレビカメラの入る場所で、簡単に無償で歌うのは納得できない。プロなんだから金とるでしょ。万一、本人はOKでも、マネージャーが止めるでしょ。「世話になったから」という理由も、たったあれしきのことで?と思っちゃう。香取慎吾のベルボーイも、まじで田舎帰った方がいい。オダギリジョーの筆架係は、垂幕に書き初めした分、本来の仕事が滞っているから、年明けパーティに出てるヒマないんじゃないの。麻生久美子と津田雅彦の今後も、だいじょうぶなのー。みんないい人、希望ある未来で終わらせて大団円、最終的に「いい話」にしちゃうあたり、やっぱり三谷さんはウエットだと思う。泥くささはないんですけれどね〜。
以上、舞台だったらナマの迫力で押し流せたり、ノリで片づけられたりするところ、「映画」だとリアルさが求められる(と個人的に思う)ので、嘘くさく……うさんくさく見えてしまう。自分は、舞台は「まがいものの内なる真実」、映画は「リアルな夢」だと思ってます。「THE有頂天ホテル」は、どっちつかずの印象。面白いんだけどね、「でもね」なんだ。
三谷さんは、やっぱり舞台の人だと思う。で、軽演劇の似合うコメディ作家。三谷さんの芝居(と敢えて書こう)には、高い身体能力が要求されるんじゃないかしら。今回の映画でいえば、浅野和之さんの政治家秘書が逃げ出す場面。浅野さんの「ナヌ!」な顔、手振り身振り、漫画チックな走りと見事な転び方は、素晴らしいの一言。
三谷さんには、あまり洋風・都会風を意識せずに書いてほしい。三谷さんには点の辛い自分が、どうして「新選組!」は好きで好きでしかたがないか、よくわからなかったけれど、今回の映画で気がついた。「新選組!」では、三谷さんが己れの日本人でウエットな部分を、堂々と出せていたからではないかしらん。そこに彼のもつ都会的な気分が加わって、高らかに歌い上げながらも、さっと引いてみせるバランスがよかったのだと思う。下手に洋風にするよか、ばりドメスティックな大河の方が、三谷さんのセンスが光っているように思えるのは、自分の考えが偏っているのでしょうか。

月影十番勝負 第十番 SASORIIX「約束」

3/25 (土)、18:30開演、於・新宿スペースゼロ。上演時間は2時間20分。

作・出演:千葉雅子
演出・出演:池田成志
出演:高田聖子/千葉雅子/伊勢志摩/池谷のぶえ池田成志/加藤啓/木野花

「月影十番勝負」は、劇団☆新幹線の看板女優・高田聖子さんのユニットで、彼女が新感線ではやらないようなことをやってみよう企画。同じ新感線の座付作家・中島かずきさんとのユニットのはずが、途中でかずきさんはいなくなり、代わりにいろんな作家さんを呼ぶようになったもの。「十番勝負」の名前通り、10回までの限定で、今回がそのファイナルだ。ちなみに、今まで観た“月影”は、第五番「ぼくの美しい人だから」(脚本:中島かずき、演出:木野花)、第七番「愛の嵐」(作:河原雅彦、演出・出演:池田成志) の2本。第六番「世にも不思議なネバーエンディングストーリー」(作・演出・出演:河原雅彦) は、チケットは持っていたけれど、当時あまりにも仕事がきつくて寝オチでした。あーもったいない。
で、今回の「約束」。聖子ちゃんの好きな映画だという「女囚さそり」と「約束」を下敷きにしたものらしいが、どちらもよく知らない。脚本の千葉雅子さんは、劇団「猫のホテル」の主宰者で、作・演出をしている方。役者の千葉さんは観たことがあるけれど、脚本家としての千葉さんは、今回が初体験。初チバだぜ。
ざりっとした、あんま救いようのない話だった。客観的に不幸でも、本人たちが納得して満足なら幸福であると思うが、この話では、本人たちがラストで満足しているようには見えない。代わりに感じたのは「諦観」だった。運命の受諾。

冒頭、自分をどこまでも追ってくる男「北城 (キタシロ)」に立ち向かうべく、反撃に転じた村田奈美子(高田聖子)だが、いろいろあって、意識的に北城の影から脱していく。このへんの決着も、北城との直接対決ではなく、自身の心との折合いで、つづまりをつけた感じ。最初の反撃の様子に惑わされたけれど、奈美子は非常に受諾的な人間ですね。他人の気持ちに沿うよう、行動してる。過去にただ一回、拒否したときの体験が影響しているのかどうかは不明。
奈美子が出会う若い男・結城隆夫(加藤啓)との、感情の交歓シーンがよかった。欲情が萌すというか、情感が生まれるというか、そんな空気感。最後の地、和歌山新宮で、旅館の仲居(池谷のぶえ)が「敬語をしゃべれない」設定に、あれ、もしかしてと思った。舞台では、心付をもらったとたんに敬語を使うオチなのだが、実は紀州弁には、もともと敬語はないのですね。と、司馬遼太郎さんが書いてました! 紀州出身の友人は頑として敬語を使わない、そんな冷たい物言いの他人行儀なことができるかと、会社の上司にもタメ口だと。もし「紀州に敬語なし」を千葉さんが踏まえているならば、敬語を使うよう注意する奈美子と、心付をもらって敬語表現をする仲居というのは、かなり皮肉なのではなかろうか。
奈美子を追いつめていたのが、現実に北城本人なのかは分からない。虚実入り乱れて話は進む。役者はみんなよかったです。ハードボイルド聖子ちゃん、かっこよかったなあ。聖子ちゃんの生着替えシーンは、演出の成志の趣味にちがいない (断定)。スタイルいいわー! うらやますぃ〜い。伊勢志摩さんの役どころが、「悪魔の唄」と似てたです。