俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

グノーシス gnosis

昨夜が最終回だった「アンフェア」の感想。安藤(暎太)が犯人だったとは! 蓮見(濱田マリ)が雪平(篠原涼子)を裏切った理由は、雪平への怨恨ではなく、金と愉快犯的感情、ということでいいのかな? 最初の方見てないんで分からないのだけど、雪平の父親を殺害した犯人は不明なままなの? てっきり、今回の殺人ともリンクすると思ってました。ちがうのか。
それにしても、なぜ雪平は、正確に心臓を狙うのだろう。そうでないとお話が回らないから、しかたないのだけれど。ドラマを離れて、現実に即していうと、あれは刑事の職務としてまちがっていると思う。発砲やむなき場合でも、相手の攻撃を止めるのに手足を撃つとか、すればいいのに。これは犯人の人命尊重をいうのではなく (含まれはするが)、その後の捜査、被害者側の感情による。つまり、犯人を射殺すると、その動機、犯罪手口、共犯者の有無等を、本人に問いただすことができない。一番の情報源を、捜査する側が口封じする結果になる。それはだめでしょう。
以前読んだ犯罪実録もので、女性を殺害、犯人はその後自殺というのがあった。二人の間に何があったのか、殺害にいたる動機がわからない。痴情怨恨かと被害者女性の評判は落ち、犯人死亡にともない捜査も終了、被害者家族には「なぜ」だけが残った。被害者の汚名を雪ぎたくとも、捜査終了で警察は動かない。終わった事件にマスコミは興味を示さない。「なぜ」「うちの子が」。その謎を明らかにすべき犯人は、もういない。「なぜ」。動機解明の大切さを知った。事件解決というのは、犯人逮捕だけにとどまらないのだ。
雪平の行為は、「解決」への道筋を断ちきる。殺人に殺人をもってする安易な収束法、犯人からの直接の自白(それは人々の「知りたい」欲求に応えるものである)を無造作に葬るやり方に、人は反撥するのだ。
実際、事件の契機となった17歳射殺も、あそこで生かしていれば、罪は罪としても、17歳の言い分が世間に通ったかもしれない。しかし17歳は、申し開きの場を与えられないまま死んだ。彼はただの凶暴で無軌道な若者のレッテルを貼られた。安藤が耐えきれなかったのは、まさにそこだったのではないか。17歳の優しさも思いやりも認められず、世間に誤解されたままである苦痛。安藤の復讐の誤算は、「アンフェアにはアンフェアを」だった。《悪をもて悪に報いず……愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」》――新約聖書「ローマ人への手紙」

でも結局、安藤は雪平を恕したんだろうなあ。最後に自白したじゃないですか、あれって愛だよね。相手の知りたいことに答えてあげるのは、愛です。ちゃんと皆が集まったところで、悪役も演じてあげたし。100%憎悪の復讐なら、どんなにバレバレでも自白はしないね。雪平の「なぜだ安藤!」には答えない。僕じゃない、と言い募って逃げる。かつての店長のいる店に、偶然を装って入り、発砲する。雪平以下の刑事が集まったところで「雪平さんに疑われ、銃を向けられたので逃げた。店長は巻き添えを食って重傷だ。助けてください!」と言いながら店長を射殺。「あなたのせいですよ」と雪平に銃口を向ける。雪平が銃を構えないようなら、安本あたりに狙いを定めて、どうでも雪平に自分を殺させる。すべての真相を胸に秘めたまま、彼は復讐を遂げるのだ。あとに残るのは状況証拠ばかり、場合によっては、雪平が口封じのために安藤を射殺したとも受け取れる。雪平は「なぜ」の問いをむなしく繰り返すしかない。
しかし、安藤はそこまで強くなかった。17歳に代わる愛を知った。神に代わりて復讐した安藤に対し、神が報いた罰は、愛だった。
安藤はすべての疑問に答えて自白し、衆人環視の中、自分が犯人であることを見せつけた。そして最後の弾抜き。あれは、雪平の主義主張をわかったよ、受け入れるというサインだと思う。あれでかなり、雪平は救われたんじゃないかなあ。通じないまま終わるのは、つらいことです。一連の復讐劇は、安藤の壮大な愛の告白だったのだね。死に損と思われる人が多いのが、どうかなと思わなくもないけど、まあドラマですから。願わくは今後、雪平が射殺しない勇気をもてることを。
……にしても、なんでこんなに長くなったんだ? 風呂敷が大きくなっちゃった。