俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

我ながら予想もつかない着地点に

サイコドクターぶらり旅」の風野さんが2005年6月28日付の日記で言及されていた、「『精神科病院』に用語変更へ 自民部会、議員立法を了承 」(「産経新聞」2005年6月28日付記事) で、急にいろいろと思い出した。といっても、同じく風野さんの書かれた旧日記についてなのだが。
風野さんは、以前に「精神病院」の呼称変遷について触れていて (上記日記にもリンクあり)、

精神科の病院を指す名称には変遷がありまして、「癲狂院」(明治)→「脳病院」(大正)→「精神病院」(昭和)→「精神科病院」(平成)と、変わってきているのですね。
――「サイコドクターあばれ旅」(ぶらり旅の旧称)、 「読冊日記」2001年12月25日より

と、書かれている。これを読んで思い出したのが、同じ「読冊日記」の別の項。

「脳病院」というと、現代の我々はなんともおどろおどろしくも薄気味の悪いものを感じてしまうのだけれど、どうやら当時としてはそうではなかったようだ。
――同 「読冊日記」2003年6月11日、「脳病院」の項より

続けて、当時の小説『金色夜叉』から“脳”をめぐる表記をひろい、その気軽な使われ方を見せてくれる。面白いので、ぜひリンク先をたどって全文読んでみてください。最後に、「脳病院」は、当時としてはソフトな語感だったのだろうとまとめられているが、なるほど〜と思うと同時に、明治・大正の“脳”の使い方に興味を覚えたのだった。

以下は思いきり推測ですが、この“脳”の使われ方って、どこか翻訳調な気がする。19世紀、世界的に流行した心霊術、オカルト・ブームに影響されているような気がするのですよ。脳=カコイイ! みたいな。西洋では今、脳がブーム! みたいな。「気分がすぐれなくて」より、「脳がすぐれなくて」というほうがCOOLだぜ! という感じがあったのではないかなあ。
明治期は、言文一致の口語体小説の黎明期であり、現代の感覚からいうと、珍妙な日本語・洋語が多いのです*1坪内逍遥の戯作スタイルで書かれた『当世書生気質』がいい例。

「それほどの来歴のあるラブ(恋)でありながら、流石(さすが)は君だ。断然絶つといふのは感心だ。いよいよ其シンガー(芸妓)が君のいふやうな気概のある女なら、よしんば君が学問の為に絶つといつたからッて、憾(うら)むわけは毫(ごう)もあるまい。而(しか)して果して実があつて、君を思ふ心が深い者なら、履歴もあたりまへの者ぢゃアなし、卒業後にフアザア(家父)に話して、細君にしても不可はなからう。其時にゃア実否をただして、我輩がシンガー(芸妓)の兄になつて、君の処へ嫁入らせようヨ。」
(略)
「ヂス・ストレンヂ(そいつは希代だ)。道理で空がくもつた。何をして居たんだ。」
(略)
「余の儀にあらず。昨宵我輩と同伴して寄席へいつた宮賀匡(ただし)なる者、帰る遅うして学校に入る能はず、百計ここに尽て、竟(つい)に友人某の家にいたり、一夜の宿をお願ひ申し了(おわ)んぬ。却説(かえってとく)其翌朝六月二十日。ザット・イス、くはしくいへばネイムリイ。羅甸(ラテン)でいへばイド・エスト、もひとついへばツウ・ウィット。それでも足らずばウビデリセット。独語でいへば。」
「エエうるさい。もういいヨ。」
――坪内逍遥当世書生気質』、明治18年(1885)刊より

なんでもカタカナにして、新奇をきどる。
こうした洋語っぽいノリを、“脳”にも見出したのではなかろうか。繰り返しになるけれど、当時はオカルト・ブーム真っ最中。ビクトル・ユーゴーはコックリさんに夢中で*2コナン・ドイルは心霊術にハマりまくり、夏目漱石は小説中の主人公にテレパシーの実験をやらせている。“脳”に心と神秘、西洋への憧れを重ねてみたものではなかったかしら。

*1:しかし、そうした先人たちの努力のおかげで、今日の日本語があるのです。「恋愛」も「彼女」も「社会」も、もとをただせば翻訳語

*2:ヴィクトル・ユーゴーと降霊術』という本の紹介をしている「ハイリハイリフレ背後霊」の記事=「さすがは文豪のところに降りる霊だけあって、キツネやタヌキといった低級霊ではない。ナポレオンとかカエサルといった大物ばかりである。「世界精神」とか「都市」といった抽象的概念までも降りている。話の内容も実に高級で、「○○君と同じクラスになれますか?」なんてものではない。人類の未来や地球の運命について深く論じたものばかりである。」