俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

戦争を知らない世代の戦争

発表会も終わり、今日は11:00までのびのび寝る。その後も惰眠。12:30、さすがに起きて布団を干し、ブランチの用意。13:30頃、完全版「新選組!」DVD-BOX第壱集が宅配便にて到着。わーわーわー! 思ったよりコンパクトな体裁。TSUTAYAオンラインで申し込んだのだが、予約特典の「誠」風呂敷が予想以上にしょぼい。銀行や商店街の配られる粗品の手拭いレベルの薄っぺらさである。まあ、無料だから、もらえるだけいいか〜。
小一時間ほど、DISC特典(予告編など)を観る。同じ映像の使い回しが多いが、ほんの少し違うカットや音声が入っていて、ちょっとしたところで気が抜けない。(例:キャスト初顔合わせの際、香取君と椅子を一脚隔てて座っている山本君が、「は〜ぁ」とついた大きな溜息が音声さんに拾われたのは、1カ所だけのはずだ。まさかこの男が、ああなるとは……)

さて、DVD第一話まで観る時間はない。スーパーで食料調達をし、ざっと片づけてから下北沢へ。阿佐ヶ谷スパイダース「悪魔の唄」を観る。今回のテーマは「戦争」。

阿佐ヶ谷スパイダース「悪魔の唄」

2/27 (日)、19:00開演、於・下北沢本多劇場。上演時間は、休憩なしで2時間半ほど。公演内容に関しては、e+のページ(http://eee.eplus.co.jp/s/akumanouta/)が詳しい。
ミーハーな感想からいきます。圭史、足長っ! 山本耕史なみに長いです。体も細くて顔ちっちゃ、もうアンバランスなくらいですよ。
それと、お父さんと似てる。仕草とか間がそっくり。圭史作・演出は数回観たが、出演もしているのは一度しか観たことがなく、かつ出番も少なかったので、今回のようにがっつり出てるのは初めて。前はそう思わなかったけれど、長時間観てると似てるわー。京三さんの舞台は「オレアナ」「MY ROCK'N ROLL STAR」のみの観劇だけど、いやはやびっくりしました。
あと、中山祐一朗さん。顔が鞠のようになってて、最初は別人かと思いましたよ。そんな丸く弾んだほっぺは、まずい! まずいよ中山さん! 踏みとどまるんだ、引き返せ! 転進! 飲みすぎ禁止! 30をこえたら、役者さんは体型管理をすべきだと思います。飲んだらその分、肥るから。自然減量は20代のうちだけだから、ほんとに。

以上、ミーハー部門終了。以下は内容的な感想。(ネタバレ含む)
観終わった直後は、正直、イマイチだった。焦点がつかめず、圭史の言いたいことが十分にまとまってなかったのではないかしら。
太平洋戦争時の日本兵を、そのまま出してきたのが敗因かと思う。30前後の役者が日本兵の格好をして「皇国日本はァ!」と言っても、セリフが上すべりして、伝わってこない。経験してないものはだめだ、なんて言いたくはないが (人を殺してなくとも、殺人事件を作家は書ける)、まだ生きている歴史の戦争をとりあげることの難しさを知った。
ただ、話と役者の身の丈のあわなさが、現代日本を象徴していると思えば、これはこれで真実味がある。というか、そういう風に――戦争を肌で知らない世代の戦争観をみせてますね。この、はっきりとしない感じ。戦後60年、戦争体験者もまだ存命中だが、「あの戦争は何だったのか」については、まだ十分に論議されているとは言いがたい。むしろ、時が経つにつれ、その輪郭はとらえにくくなり、戦争を自由に語ることはタブー化してきているのではないか。政治的なこと、思想的なこと、国体、つまり、余計な意味が出すぎるのだ、「戦争」は。
そして、戦後数十年経って生まれた私たちは、あの時代を、教科書や書籍、フィルムなどの史料によってしか、わからなくなってきている。上の世代がことばに出さなくてもわかりあえた共通項が、急激に失われてきている。
だから、何が正しいのかわからないのだ。ずっと蓋をされてきた。たとえば国旗掲揚、国歌斉唱。わたしは日の丸の意匠も、君が代ののんびりした調子も好きだけど、それが国威などと関係してくると、なんとなく居心地が悪いです。こんなもってまわった言い方しかできません。今上天皇ですら「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と、自ら述べられている世の中です。(2004年10月28日、「日本中の学校で国旗掲揚、国歌斉唱をさせるのが私の仕事」と言った米長邦雄東京都教育委員に対する発言)

こうしたもやもや感は、天皇戦勝国のやり方も含めて「戦争責任」がはっきりしていないせいかと思う、個人に戦争責任がとれるのかもわからない、これはわたし一個人の意見。「戦争」はとにかく微妙で、難しい。その微妙なところを、敢えて描こうとした圭史はえらいなー。つい、戦争について多く紙面をとったけれど、舞台を観ている最中は、劇中の夫婦2組の関係の方が面白かったりもした。男女の葛藤は、いつの世も変わらず。現代日本のいわば代表である夫婦役の、吉田鋼太郎・伊勢志摩さんは、二人ともよかったです。
中山さん演じる立花伍長と、現代人の夫・壱朗のやりとりが世代の差を出しているのだけれど、終盤近くの立花伍長のセリフ、「日本を頼む」が、今回の舞台の一番だと思う。もっとこうしたことを、気軽に話せるようになれば、歴史のとらえ方や考え方に多様なものが出てきて、思考停止から先に進めるのではないでしょうか。あまり

劇中に出てきた日本兵3名についても、ちょっとだけ書いとく。
鏡石二等兵伊達暁)は、足の障害で丙種*1なのを負い目に思っており、徴兵されたのを、むしろ喜んでいる。そこにあるのは「同じステージに立てた」という満足感であり、一人遅れていきたくはない、という思いである。国のためというより、自分のためであり、戦争の意義を問うことなく観念的に戦っている。
平山上等兵山内圭哉)は、妻子のために戦っている。国を守ることが妻子を守ることになるなら、と考えている。
一方、立花伍長(中山祐一朗)は、複雑だ。日本の勝敗をまっさきに聞き、敗戦と聞いて虚脱、「もともと負けると思っていた」などと自棄なことばが飛び出す。このときの言動と後の行動が矛盾していて、観ている最中は不審だったが、パンフレットを読んで「一番、日本のために戦っていたのが立花伍長」だったのかと思った。遅くてすみません。

*1:徴兵検査では、身体状態を甲乙丙丁戊の5段階に分けた。甲乙種は現役適格者、丙種は現役不適格・国民兵役適格者、丁種は兵役免除、戊種は甲乙の判定しがたく、翌年再検査の者。兵隊にとられるのは甲乙種で、丙種は通常とられなかったが、戦況悪化により徴兵されるようになった。
戊種について補足。たとえば現在は療養中だが、数カ月も経てば丈夫になる見込みの者など、判断保留で「戊種」とされたらしい。