俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

長塚圭史の「TR」

ふだん、TVを観る習慣がない。ので、「これチェックしとこー」と思った番組も、簡単に忘れる (そして涙する)。また、そのチェックすら穴だらけなんだ。
てなわけで、長塚圭史がゲストの「トップランナー」再放送*1を観る。初回放送時、TVをつけたら圭史が出てて、おろろいた。そのときは最後の5分しか視聴できなかったが、今回は最初の5分を見逃す。なんやねん。

さて、長塚圭史を知らない方に、若干の説明。長塚圭史は、演劇ユニット「阿佐ケ谷スパイダース」主宰で、それ以外でも作・演出・出演を幅広く行なっている、小劇場系の若手です。父親は長塚京三
圭史の、えらい早口に笑った。思考がスパコン並みの瞬速でぱぱぱっとまとまり、口にのぼせるのが追いつかない感じ。ときどき「んー」と立ちどまるのは、思考が速すぎて、言うべきことばがわからない (そんなのずっと後方においてきてる)、そんな印象を受けた。思考があふれ出してる。だからかえって、冗語が多いですね。おもしろい。
父親・長塚京三との関係もいい。もう、相思相愛。お互いを認めあってて、敬愛しとるのよ。圭史が若いときは、父親の名前に頼らず、自分の力だけで試してみたい、と思っていたそう。失敗してもそれなら納得できる。「臆病だったのかもしれないですね」
それが25歳のとき、父親の一人芝居「侍」の作・演出を担当する。父から「お前、書いてみないか」と言われ、断るつもりが「ぱあっと話が浮かんできちゃって」「長年、ずっと父をみてきて、一番父のことをわかっているのは自分じゃないかと」悩んだ末、「話が浮かんできちゃったものは、しかたがない」と引き受けることに。
当時の製作発表の映像が流れたのだが、これが相当おもしろい。京三が「まあ、息子の……」と話すその隣でうつむき、目をあわそうとせず、斜にかまえてフテくされている圭史。イキがっちゃって、んもー若い! やんぬるかな25歳。

(この舞台が失敗したら、自分のみならず父の名前にも傷がつく)
父も相当な覚悟でのぞんでいて、「お前の世界をやるから」というスタンス。
じゃあこちらものぞむところだ、と。父は僕のいうことを文句もいわずに、ひたすらやりましたね。

今年で30歳の圭史は、背伸びしていた角もとれて、素直にしゃべってます。

――(司会の武田真治)偉大な父の影響は?
やっぱり映画ですね。映画をたくさん観せられたこと。
幼稚園に入る前から映画を観てたので、会えばいっしょに映画を観てましたね。
ビデオで映画を観ていると、「ここ、いいシーンだぞ圭史」っていうんですよ。
「ここいいシーンだから」「ここの男のコレはかっこいいよな、なあ圭史!」って言われるんですよ。
そうすると、子供心にだんだんここはかっこいいんだ、というふうに思ってしまう。
そのインパクトがどんどん、どんどん残っていって。それを繰り返していくうちに、どの映画でも、新しい映画を観ても、かっこいいなという場面が、親父といっしょになっているんです。
そういった意味では、洗脳されてますよね。うん…。好きな感覚が、多分いまでも一致していると思います。

番組も終盤に近づき、口がほぐれたのか、それまで「父」と呼んでいたのが「親父」に! こういう素が見えるの好きなんですよ。
親父に洗脳されたせいか、圭史は古い映画をよく知っているらしい。圭史を見るたび、その落ち着きぶりに「若さがない」と思ってしまうが、現代の若者らしからぬ渋い趣味が、その一因なのかもしれない。
圭史は、小さいころに広島で原爆ドームを見たか何かで、「ヒロシマ」がトラウマになっているという。ヒロシマを消化しきれてないという。数年前に米ワシントンのスミソニアン博物館で、原爆投下機「エノラ・ゲイ」の展示が決まったとき、「どうして展示をするのか」まだヒロシマの結論は出ていないじゃないか、と思ったという。
ずっと以前からくすぶっていた、消化しきれない思いが、次回作「悪魔の唄」になったという。
チケットとっといて、よかったー。観にいきます。その他、スタッフに辞められた話や、NYのサーカスの演し物の完成度に衝撃をうけて発奮した話、高校卒業記念に書いた初オリジナル劇が、いかにも圭史であったことなど、見ごたえのある番組でした。