俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

観てきた

山本耕史君の「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」、観てきました!
慎吾ちゃんが観に来てました。慎吾ちゃんの感想ききたいなあ。きけないけど。
あ、新宿FACEの会場はエレベーターが激混みなので、余裕を持って行くのがいいですよ。7階だし。あと、歌は全部英語の歌詞なので、予習できる人は、しといたほうがいいかも。

ロック・ミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

【作】ジョン・キャメロン・ミッチェル
【作詞・作曲】スティーブン・トラスク
【上演台本・演出】鈴木勝秀
【翻訳】北丸雄二
音楽監督】前嶋安章
【出演】ヘドウィグ:山本耕史/イツァーク:中村中

2/20 (火)、19:00開演、於・新宿FACE。上演は2時間ほど。
性転換ロックシンガーということで、観る前まではMTF(Male to Female)のトランスセクシャルかと思ってたけど、そうとも言い切れない話だったのね。性自認は不明。東西格差、親子の問題も含んだ内容で、予想外に深かった。占領下の日本で、米兵と結婚してアメリカに渡った「戦争花嫁」のことも思いだしたわ。
今回のコレがダメだった編。
・山本ヘドウィグはカマに見えん
・歌詞全部を英語で歌うなら訳詞を出せ
・スズカツ演出は肌にあわない
ヘドウィグの映画も未見で、あらすじはチラシ類で見た程度だけど「がんばってるのはわかります」という感じ。えらそうですみません。
山本耕史君には、その方面の資質がないんです。どうしてもその違和感がのかなかった。
本人が実際にゲイである必要はない。ヘテロだって、筋肉隆々だって、それらしく見える人はみえる。男でも女でもない妖しい色香が、山本君にはない。どーみてもバリバリヘテロの男の子じゃん。ヘドウィグよりも、ハンセルとトミーの方が、よほどしっくりしてた。素養のない人がやっても、女装コスプレに終わりがちなのがこの方面のおそろしさです。たとえば藤木孝さんなどがやったら、女装しなくとも雰囲気は出ると思う (ヘドが似合うかどうかは別問題ですよ)。ハイヒールの足さばきも、ヨタってた。酒の飲みすぎという設定なのか、単に履き慣れていないのか少々アヤシイ。
「ヘドウィグ」でいるときの台詞が、どうも浮いて聞こえて困った。ぐるぐる渦巻く愛憎、虚無感、攻撃性とやるせなさが感じられないのだ。まったくカマに見えない山本ヘドに、これは「もとの性自認は男の同性愛者が、愛人の言うがままに性転換手術を受けて失敗。愛人にも棄てられ、アイデンティティ・クライシスに陥った話」だと思って観ていた。かつ、性別差別を超越した愛がテーマかと思ったら、最後の演出で、白いドレスの女が出てきて混乱。なにこの超ヘテロな展開は。
ヘドウィグ/トミー、イツァーク/ヘドウィグが重なる、いく通りも解釈ができるシーンではあるけれど、女オンナした髪型に白いドレスは、どうかなああああ。結局、ヘドウィグ=女の、異性愛に還元されちゃうわけ? 白いタキシードか、男女どちらかわからないような、ユニセックスな衣装が、山本ヘドウィグには合っていたんじゃないかしら。「私の後ろだけではなく、前(アングリーインチ)も愛して!」という台詞が、山本ヘドウィグだと「僕は男だ!」に聞こえるんだなあ。それを措いても、女らしく見せるために、かつらをかぶらされていたヘドウィグが、かつらを捨てたあとも「女」の姿でいるのか? ヘドウィグの性自認が女であれば無問題だけど、山本君だとね……。彼にオファーを出したのって、カマじゃないヘドウィグ狙ったせいかと思ったんだけどなあ。なんで最後は従来ヘドウィグのイメージなんだろうか。スズカツ演出とは相性がわるいわ自分。
山本ヘドウィグがわかりにくかったのは、劇中歌をすべて英語で唄われたせいもある。大切な3曲のみ訳詞カードが配られたが、舞台進行中に手許なんか見てられまっかいな。ぶっつけの原詞はきつい。英語で唄うのなら、訳詞の字幕を出しなさい。日本語歌詞ですらスクリーンに映しだす、新感線の親切設計を見習いたまい! 山本君の歌声と心情だけを頼りに観てた。原詞で唄いたくなる気持ちはわかるんですけどね……。時折ながれる字幕ですら英語。
歌でいえば、わざわざ会場をライブハウスにしたのに、あまり生かせてなかった。歌の場面は総立ちか? と思ってたら全然。やっぱり、みんな英語で唄えなかったんだと思うよ。

イツァークが謎だった。いまだにトミーを追っかけているヘドウィグを、イツァークはどう思っているのだろう。もっと二人のからみがあると思っていたが、意外とイツァークは脇なのね。映画版ヘドウィグを観た人に聞いたら、映画版のイツァークはそれなりの役柄だけど、舞台では軽めの扱いらしい。今回のイツァーク・中村中さんは、なかなかよかったと思います。山本君も、動きがいつもとちがって安心した。ひりつくような渇望感、激情、そのあとにくる繊細さはさすが。
観終わってから、映画版や三上博史版ではどう演じられたのか気になった。三上ヘドウィグを観たことのある同行者に聞いたら、三上ヘドの方が、はっちゃけてたそうです。いわゆるイメージ上の「ヘドウィグ」に近い。男と女を行き来し、猥雑で妖艶、はすっぱで純、歌詞も日本語。ハイヒールもかーるがる。いろんなヘドウィグがあってしかるべきですが、山本ヘドウィグは、まだ発展途上の印象でした。