俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

芝居に夜景

新宿高層マンション、ゲストルーム

昼夜ともに出ずっぱりの1日。昼は長塚圭史の芝居「アジアの女」だったが、ズレてたな。

結婚祝いのホームパーティ

夜は大学サークルの先輩宅でホームパーティ。先日結婚したばかりの先輩のお祝いに、その上の代の先輩が企画してくださったもの。新宿高層タワーマンションのゲストルームで、30階からの眺望ですよ! 都庁やホテルの灯がきらきら。企画者の先輩が自室からセッティングした、グラスや料理の皿もオサレ。料理の半分は奥様の手作りで、これがおいしいの。「今日は(奥さんは)仕事だから、終わりの方で顔を出すかも」って、仕事持ちなのに、まばゆい料理を何皿も……。途中参加された奥様は美人さんで、はきはきしっかりした方でした。すてき。最後にとどめの、手作りケーキ2種! めたうま。
本日主役の、新婚な先輩ご夫婦には、酒を注ぎにくる人、声をかける人がひっきりなし。新婚の先輩が、上の代の先輩方から可愛がられているのがわかる。パートナーの奥様も笑顔で、よく応対してらして、いいひとだあ。細くて女性らしい服が似合い、ふんわりしているのに、芯のある印象の方でした。これからもどうぞよろしゅう。
企画者の先輩が、小野食品からお取り寄せで湯豆腐をすれば、新婚の先輩は、皆へのお土産にミニ男前豆腐を。どちらも美味しかったわー。男性陣の手慣れたサーブが、かっこいいです。シャンパンに赤白ワイン、ビール水割り、えらい勢いでハケていき、空き缶を振って「え、もうないの?」。新婚夫婦へのプレゼントが、洒落がきいてて場内大ウケ。もう、皆ただの酔っ払いで、すんごく楽しい夜でした。

新国立劇場「アジアの女」

【作・演出】長塚圭史
【芸術監督】栗山民也
【出演】富田靖子 近藤芳正 菅原永二 峯村リエ 岩松 了

10/15 (日)、13:00開演、於・新国立劇場小ホール。上演は2時間。
表層的で、最後の表題セリフには笑ってしまったが、役者は全員よかった。岩松さんうますぎ! ブラック岩松さんは久しぶり〜。中身より、役者を観るための舞台だった。
以下ネタバレ感想。
大震災で廃虚と化した東京はいまだ復興できず、人々は配給生活、外国人窃盗団のデマに自警団が組織され、世間から外国人が排斥されていく様子が遠景やがて近景として語られる。恋愛問題で精神を病んだ妹(富田靖子)と、仕事に嫌気がさして辞めた兄(近藤芳正)は、崩れる危険大の立ち入り禁止区域にひっそりと住むが、そこに、自称小説家の男(岩松了)が押しかけるところから時計の針は進む。妹に恋心を抱く警官の“村田くん”が菅原永二、ボランティアの元締“鳥居さん”が峯村リエ
なーんだかなあ。風呂敷、広げすぎましたね、という感じ。
パンフレットの「ごあいさつ」によると、圭史君は脚本執筆にあたり、阪神大震災の資料を眺めていて、これではリアルすぎると思ったそう。彼の考える崩壊後の東京とはちがう、と。11年の歳月をかけて甦った現在の阪神を見て「故に我々はやがて復興出来るであろうことを漠然と信じてしまっているのです。リアルなのは崩壊した神戸、大阪ではなく、復興した今のあの町なのか。私が違う、と思ったのはそこだったのです」もっと失い、もっとゼロに限りなく近づくことで、見えてくるものを書きたかった、と(私の理解では)あるけれど、圭史君、この「ごあいさつ」文、わかりにくいよ。お題をまだ消化しきれてないのね、きっと。

で、その消化できてないのが、脚本にもろに影響している。まんま関東大震災が下敷きだよね。治安の悪化で自警団組織、中国人迫害。全然新しくないの。近未来の東京を舞台にせず、素直に関東大震災を素材にすればよかったのに。舞台は過去でも、現在と変わらぬ世情を炙り出して、過去と現在をつなぐ手法もあったと思う。未来にこだわるなら、新しい酒を古い革袋に入れないことだ。「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」と、イエスさまも言っております。
今の時代、比率は東アジア系が一番だろうけれども、アラブ系や東南アジア系、日系ブラジル人などには一言もなし。やっぱり関東大震災だ。デマが発生する現場は見せても、なぜデマが流布したのか、その下地があいまい。「だってあの人たち、日本人が嫌いじゃない」という一言だけでは、ちょーっと食い足りないですね。一面的ではないかしら (ボランティアの鳥居さんに言わせるあたりは、さすがだけれども)。首都東京が復興しないままというのも、のりきれない。今の日本、そこまで困ってないでしょ。自分の考える震災後とちがう、と言われても、阪神大震災というリアルが邪魔をする。要するに設定がつらい。大震災と限定せずに、ただ「崩壊後の東京」とすればよかったのでは? 
終盤、兄の近藤芳正さんが「アジアの女」と口走ったときは、唐突で笑いそうになっちゃった。「今、一人の女の愛は、国境を越えようとしています」と続けられて、困ったわ。いいシーンなんだろうけど、大げさなんだもの。妹が中国人男性に恋をしているだけだよ。妹の恋愛に、民族、国境を越えた友愛を仮託しているのは承知していても、なんだか棒読みに聞こえてしまうのです。圭史君が未消化だと思う一端。まとまらないまま、結論だけ、ぽーんと出してる。
家屋倒壊の危険におびえる兄の心情や、自称小説家が自己欺瞞に腐っていく様子などは面白かった。岩松さんが、初めて物語を宣るシーンが好き。個を語るのは、圭史君はうまい。でも、全体を語る大河小説はどうなのかなあ。かなり辛口になってしまった。次回作に期待します。