俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

顔真卿展

上野の東京博物館で開催中の「顔真卿王羲之を超えた名筆—」を観てきました。

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書の世界は不案内なのですが、台湾の故宮博物館所蔵で国宝クラスの「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」が奇跡の初来日と聞いては、行かずんばなるまいて。

顔真卿」、名前だけは聞いたことある方も多いでしょうが、中国屈指の書家です。付け焼刃の知識で申し上げると、王羲之の「蘭亭序」に並ぶ名跡が、顔真卿の「祭姪文稿」なんですね。名跡というか、「劇跡」です。

顔真卿は、唐の玄宗楊貴妃の旦那です)の時代の人で、「進士」(東大を超えたクラスの超エリート)に及第するも、生来の剛直さが災いして煙たがられ、官僚としては日陰の道を歩んでいました。とはいえ、孔子を出した「顔」氏の出身で (弟子の顔回も同じ)、能筆家として名を馳せます。

時の皇帝・玄宗は「開元の治」で唐に輝かしい繁栄をもたらしましたが、後期においては楊貴妃を寵愛し、「安史の乱」のきっかけを作った人でもあります。ああ、世界史が懐かしいわあ。「安史の乱」とは、節度使であった安禄山と史思明の叛乱で、二人とも「塞外」つまり漢民族以外、西方の出身です。「節度使」とは、ざっくり言うと地方を司る長官みたいなもの。日本で例えると、近畿地方国司とか、そんな感じかなー。軍も文官も束ねてます。

安史の乱が起きたとき、顔真卿は唐に忠節を誓い、同じ一族の顔杲卿 (がんこうけい) と示し合わせて、叛乱軍に対し義兵を挙げます。その戦いの中、顔杲卿とその子・顔季明は殺され、さらに叛乱軍により一族の大部分が殺されました。

安史の乱が鎮圧された2年後、顔真卿は、一族を惨殺された顔杲卿、特に姪(中国では、1世代下の宗族は男女関係なしに「姪」と呼ぶそうです)である顔季明を悼む弔文を起稿します。それが、屈指の書として名高い、今回初来日した「祭姪文稿」。

「劇跡」と呼ばれるように、草稿を書いているうちに顔真卿の心情が昂まり、文字は乱れ、劇します。抑えきれない心情露わな書が、かえって人の心を打つ、比類のない書となり、長らく中国の人の心をとらえて離さないのです。

 

で、いざ行ってみると、すごいわー。入場まで1時間待ち。「祭姪文稿」はさらに100分待ちですって。

ちょうど春節にあたるせいか、中国の方も多くいらしてました。あちこちで中国語聞こえたもんね。中国人にとっては、それだけ思い入れのある書なのだなあ。

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本展の目玉は「祭姪文稿」だけれど、「書」全体を俯瞰する展覧会でもあります。

甲骨文を置き、篆書(てんしょ) →隷書→楷書に到る過程から始め、唐で楷書体が完成する流れを見せます。

「書聖」と呼ばれる王羲之の書を偏愛した、唐の第二代皇帝・太宗。この人も能書家でしたが、太宗のもとで虞世南(ぐせいなん)、褚遂良(ちょすいりょう)、欧陽詢(おうようじゅん)が「初唐の三大家」として活躍、楷書体を完成させます。

唐の太宗からさらに下り、玄宗の時代、顔真卿が書家として名を挙げ、「顔法」と呼ばれる特異な筆法を編み出します。彼は今日、「唐の四大家」「楷書の四大家」とも呼ばれるようになりました。「祭姪文稿」に到る前の過程だけでも、けっこう見甲斐がありますよ。漢字は、それ自体がとてもグラフィカルなのよね。だから「書」が芸術として成り立つんだなあ。

展示の最後のほうで、日本の書家も紹介されていますが、日本のはどことなく筆致がやわらかな気がするな〜。そうは言っても、空海の書は墨痕淋漓、力強くて「相当自信家だったんだろう」と思わせますが、どうやら時代的に、顔真卿の影響を受けているらしいです。だから、あんなに力強いのか!

 

さて、「祭姪文稿」。100分並んで観てきましたよ。私の後ろに並んでいた人が「祭姪文稿を観られるなんて、ほんとありがたい」「日本で観られる日がくるとは、信じられない、よかった」と繰り返し言っていたので、書の関係者にとってはよほど垂涎の展覧会だったのでしょうね。ミーハー気分で来た者にとっては、スミマセンと言いたくなってしまいました。

文稿の文章自体は短いのだけれど、文の調子がどんどん劇して、心乱れるさまが紙越しにも伝わってきます。うーん、まさに「劇跡」。文稿の前後に、過去の持ち主が感想を付け加えた文章がずらずら載っていて、それがまた面白いの。

一番最初が、清朝乾隆帝(清朝最盛期の皇帝)。「顔一族は国のために命を賭したのに、当の皇帝(玄宗)はそのことも知らず、何やってたんだか (楊貴妃とイチャコラしてました)」と、あてこすってます。あとは、その時代時代の文化人が「この書スゲー」みたいなこと書いてる。

あと、文化の違いをひしひし感じたのは、そんな素晴らしい「祭姪文稿」の本文に、乾隆帝がぺたぺたハンコ押してんのよ! 乾隆帝ーーーーー! 何考えとんねん。

乾隆帝以外(?)でも、文稿とその感想文をつなぐ紙の部分にぺたぺた、ぺたぺたぺたぺた、ぺったぺた、ハンコ押してはんねん。「これ俺のだから!」という自己主張をめっちゃ感じました。「祭姪文稿」には感動したけれど、あの前後のハンコぺたぺたには、それと同等の狂気を感じたわ〜。

 

【追記】後で検索かけたら、持ち主が序文を書いたり落款するのはままあることなんだけれど (日本でも見たことはある)、乾隆帝はその中でも異彩を放っているようですね。文化財に躊躇いなく「そこに押す?」感がハンパないです。下記のtogetterを読んで、思わず笑ってしまいました。

togetter.com