俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

柵のうちそと、あなたはどちら?

ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン@シアターコクーン・オンレパートリー2016

【作・演出】松尾スズキ
【出演】
阿部サダヲ 岡田将生 皆川猿時 池津祥子 宍戸美和公 村杉蝉之介 顔田顔彦
近藤公園 平岩紙 岩井秀人 阿部翔平 井上尚 掛札拓郎 高樹京士郎 中智紀 古泉葵 伊藤ヨタロウ 松尾スズキ 吹越満 寺島しのぶ
【音楽】
邦楽演奏:綾音 
ヴァイオリン:磯部舞子/鹿嶋静(日替り出演 7/16・23)
キーボード:門司肇/塩野海(日替り出演 7/9・16・23・30)

7/24(日)14:00開演、於・渋谷シアターコクーン。第一幕85分/休憩15分/第二幕85分で、カーテンコールもあり、終演は17:15頃でした。
中央アジアと思しき架空の国を舞台に、虚々実々たっぷり盛り込んでの脚本でしたね。松尾さん、時事ネタや社会風俗を織り込んでて、社会風刺のようにも読めますが、それでもやはり一番は人の心の脆さや「尊厳」がベースのように思われます。
2002年「業音」で、9・11の映像を唐突(私にとっては)に流したのが、「あれ?」と思った最初だったなあ。あのときは、パンフレットだかインタビューだかで、9・11を差し挟んだのは政治的な意味はなく、インパクトのある事件だったから使ってみた、みたいなことを言っていた気がします。まあ、9・11のときは、たくさんのジャンルが何がしかの影響を受けて作品に取り入れてましたし、言葉は悪いけれども「流行りなのかな」と思いました。私自身が、当時9・11を消化しきれなかったのもあるかもしれません。
でも、2012年「ウェルカム・ニッポン」を観たとき、松尾さんは「社会」に対して違和感があるのかな、と少し思ったんです。
「ウェルカム・ニッポン」は、東京の足立区を下敷きにした架空の区(ここで架空にする意味あるのかなーと思ったくらいあからさま)と、アメリカから来た白人女性が主人公で、この女性は「プアー・ホワイト」なのだと徐々にわかってくる仕組みです。アメリカにいてもうだつが上がらないので、9・11のときに自分を助けてくれた日本人を頼って来日したら、日本も3・11後で、いきなり治外法権な「わだち区」のデンジャラスさにノックダウンさせられ……と、プアー・ホワイトから脱出しようと日本に来たのに、結局そこで絡むのは日本の底辺層だったという話。救いがあるような、ないようなラストでした。

今回「ゴーゴーボーイズ〜」を観て、真っ先に思ったのは「ウェルカム・ニッポン」と似てるな、ということ。日本を出て、外国のマイノリティを持ってきている点が、もう日本では物語が作れないのかと思わされました。そして、やっぱり架空の国に、架空の宗教。アフガニスタン(ほか、いくつかの国の要素を混ぜ込んでます)とイスラム原理主義がモデルでしょうなあ。日本人人質、自己責任、インターネット配信動画、人身売買など、ほんとたくさんのネタがぶちこまれてましたね。

タイトルにもある「ゴーゴーボーイズ」というのは、タイのゴーゴーバーの男性版、ゴーゴーボーイから来ているのだろうな。基本ダンサーなのだけれど、金で身体を買われることもある者たち。岡田将生くんがヤギ3匹と引き換えに売られ、ゴーゴーボーイとなるところから舞台は始まります。源氏名は「トーイ」。玩具ですね。
トーイは踊りが壊滅的に下手で、身体で稼ぐしかないのだけれど、本人がそれをあまり苦にしていない、妙な明るさがあります。その一方で、ゴーゴーボーイが年老いたときの末路を思うと、若さと美貌しかない岡田くんは、世界的インテリアデザイナーの傑作である椅子の皮になりたいと願う。その椅子はあまりにも美しく、その「美」に魅せられ、一体化したいと思うわけです。それが彼の天国ということ。
人間の皮膚を、椅子の皮にするなんて!と思われる向きもありましょうが、私はそれほど異常なこととは思わなかったな。ナチスが死んだユダヤ人の皮膚でランプシェードを作ったという噂もありますし (実際にはデマのようですが)。美も愛も科学も、行きつく先はグロテスクなのかもしれません。

話が逸れました。岡田くんのいる国に、因縁があって吹越満が潜入し、同じく過去の因縁によって阿部サダヲ吹越満を助けようと赴きます。サダヲちゃんは、今はお涙頂戴のベストセラー作家で、その妻の寺島しのぶは、2時間サスペンスドラマの常連だった元女優という設定。寺島しのぶが、かなり身体を張ってます! 私、そんな好きな女優さんではなかったのですが、変な迫力がありました。サダヲちゃんは控えめに苦しむ役柄かな。岡田くんは、ちょっと張り切りすぎの演技だったような。
吹越満さんが、すっごくよかった! やっぱりうまいわこの人。ヤギ役で、一番難しそうなのに違和感ないもんね。あと、ガイドの兄役である岩井秀人さんも、つい目がいってしまう存在感でした。
皆川猿時さんは相変わらずの飛び道具で、我が道を行ってます。そのほかの役者さんもよかったですよ。ゴーゴーボーイズ役の子たちも、一人ひとりキャラクターがきちんとあったのが、よかったなあ。

ゴーゴーボーイズに関して言えば、どうもこれは、松尾さんなりのBLだったようです。そうだったの!? 日本の腐女子的なBLではなく、現実的な少年の性売買と、そんな環境でも生まれる愛情・友愛と言われれば、そうかも。せっかくゴーゴーボーイズを主題扱いにしているのだから、もっと淫靡に、もっとアンダーグラウンドな妖しさを出してほしかったです。思ったより健康的だったわ。
最初の人身売買で「少年一人にヤギ3匹」が示すように、人間とヤギ(動物)の差が低い。折にふれてヤギの集団が出てくるのですが、人間もヤギも、最後に死が待っているのは一緒であり、何かに囚われて生きるという点で、両者に何の違いがあるのか、という命題が出てきます。
これ、かなりきついですよ。
飼われるヤギは、いつか食われる運命にあるけれど、柵の外に出て外敵に狙われるよりはずっとマシ、外に出てすぐ殺される可能性よりは、柵の中で安穏と暮らすほうがいいではないか。食われる恐怖を、メーメーいうことで紛らわし、忘れる。柵の中に甘んじないヤギは悪いヤギ! 調和を乱し、食われることを思い出させる反乱分子だと、日頃おとなしいヤギたちから総攻撃を受けるシチュエーションが出てきますが、これは「全体主義」に通じませんか? 人間も、ヤギと同じように国家や企業に飼われていて、ゆっくり茹でられる蛙みたいなものです。その鍋から飛び出す者は攻撃される。
ゴーゴーボーイズは、もともとその社会規範から逸脱しており、阿部サダヲ吹越満寺島しのぶも、鍋から飛び出してしまった者たちです。我々もまた、ヤギである。そのラストは、まさにこれからの社会を暗示しているのではないでしょうか。

蛇足。
松尾さんが観たというドキュメンタリーは、アフガニスタンの「少年遊び」を追ったものかと思われます。
・「悲しきダンシング・ボーイ ~アフガニスタン~ | BS世界のドキュメンタリー | NHK BS1

追記 (2016/07/26)。
邦楽、義太夫ぽい語りを入れているのが面白かった。拍子木(柝)がいい。語りが入ることで、より虚構性と物語性が増しますね。邦楽グループの「綾音」さんと、伊藤ヨタロウさんも一緒にやっているのが、松尾さんの舞台らしかったな。
邦楽で「ルパン三世」をやってくれたのも嬉しい。あのオープニング曲は最高だよね! インストゥルメンタルだったけど、頭の中で歌詞を再生しながら観てました。