俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

「翻訳」から見えるもの

土日は両日とも出かけていたせいか、なんだかとっても眠いです……。

たまには、本の感想でも書こうかと思います。
全然、流行りの本ではないですけどw

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)



いま上記2冊を読んでいる最中でして、ようやく最初の『翻訳と日本の近代』を読み終えたところです。『翻訳語成立事情』は途中まで。
『翻訳と日本の近代』は、丸山眞男加藤周一の対談のようなもの。ようなもの、というのは、もともと岩波書店『日本近代思想大系』の一冊、「翻訳の思想」の巻の編集・校注を担当した丸山眞男加藤周一の、編集過程における遣り取りを文字に起こしたものだからです。
それも、もともとは加藤が丸山に意見を聞くためにしたものだから、「対談」というよりは「問答」。しかし、なかなかこれが面白かったのです。

肩書きでいうと、丸山眞男は政治思想史学者で、加藤周一は評論家。
遠くは江戸、そして幕末明治のころの、海外文化を接収しようとする「翻訳」を通して、当時の日本が何を見て、何を知ろうとし、何を得ようとしていたかを透かそうとする内容です。我ながら、めちゃくちゃざっくりした紹介だなあ。
幕末明治のころ、西洋の歴史書法律書(万国公法など)の翻訳が多かったのは、肯けます。それも手当たり次第なのが、当時の日本の必死さが伝わってきますね。とにかく「西」を知らなくては話にならん、ということで、これは翻訳ものではないけれども、幕末期に刊行された福沢諭吉の『西洋事情』は、大変なベストセラーだったらしいですよ。
丸山眞男という人は、どうも福沢諭吉が大好きらしく、何かというと「福沢は…」「これも福沢はこう言っている」と、めっさ福沢押しでした。

私が面白く思ったのは、「翻訳とラディカリズム」。

丸山 ……安岡(章太郎)君の議論だが、翻訳で読むほうがラディカルになるというんだ(笑)。インテリのラディカリズムは、彼にいわせれば、翻訳で自由民権や社会主義の本を読んだことと関係があるという。

その例として、スペンサーの『Social Statics』を、松島剛が『社会平権論』と訳したことを挙げます。statics (スタティックス) は dynamics (ダイナミックス) の対語で「静態学」という意味なのに、それを「平権論」と訳したものだから、「平等主義」みたいに受け取れる。それで民権運動の聖典のようになり、爆発的に売れた。翻訳の「思わざる効果」だと、丸山は述べています。
あと、「個人」と「民権」の話も面白かった。日本語は、単数と複数の区別がはっきりしていない。英語では、冠詞や all、some など、かなりの程度まで数量を表す。日本語で「学生は……」というとき、その学生は1人なのか複数なのか、総体としての学生なのかが不明でしょう。「学生が来てたよ」と言って、それは1人なのか3人なのか、大勢なのかも分からない。つまり、日本語には複数と単数の区別がない。

丸山 複数と単数の区別がない、ということで思い出したのは民権のことです。「自由民権運動」は日本ではふつうの言葉だけれども、西洋人は訳すのに苦労する。いまでは、freedom and people’s rights movement という訳語が定着してしまったけれども、最初は非常におかしく感じるらしい。つまり、pepople’s right というのはないんだね。right はあくまで個人の権利で、民権という意味にならない。
 そこに気がついたのは、またしても福沢なのです。民権とはいうけれど、人権と参政権を混同している、と福沢はいうんだ。人権は個人の権利であって人民の権利ではない、だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、人民が参政権をもつべきだというのを民権というとき、そこには個人と一般人民の区別がない、と福沢は言った。その感覚はすごいね。集合概念としての人民の権利と、個々人の individual な権利。
 …………
加藤 人権というのは定着しないのでしょうね。
丸山 ……有名な明治十年代の「よしやシビルはまだ不自由でも、ポリチカルさえ自由なら」という流行り歌などは居直っている。civil right はどうでもいい、political とは参政権のことですよ。こうなると、翼賛まで一歩なんだな。
 (中略)
加藤 ヨーロッパ政治思想においては、人権があるのだからだれでも自由で平等である、とつながっているのだけれど、日本では切れたんだね。人権のほうが自由につながって、民権のほうは平等につながったと。いわば自由から切り離された平等と、人権から切り離された民権ができたわけですね。しかし一種の平等主義は昔からあった。

独立した「個人」というのが、日本ではどうも捉えにくいと思っていたのですが、単数と複数の区別ねー! ちょっと腑に落ちるところがあります。
また、英語では基本的に主語がありますが、日本語ではしばしば省略されますよね。これも同一線上にある問題ではないかしら。

また、終盤で「後進国の早熟性」を述べているのですが、今のインターネットの情報伝達速度を、国が制御しかねる現状そのままだと思いました。

丸山 翻訳の問題でおもしろいのは、共産主義社会主義の紹介が早いことです。明治一〇年代に訳しているのだから、後進国の早熟性というか。………… (福沢諭吉の)『民情一新』によれば、要するに、テクノロジーの進歩によってコミュニケーションが発達すると、思想がものすごく早く伝播する、そうすると、民衆にある観念が伝播した時、政府にもどうにもならない力を得ることがある、……それが近代文明の一つの現象である、だから、「いま西洋諸国は蒸気電信の発明に会うて、狼狽」している、というんだな。政府がコントロールできないようなダイナミックな運動が出てきた。

どうも、引用ばかりになってすみません。
まだ読み終わったばかりで噛み砕けないのと、下手に解説するより、原文を見ていただいたほうがよっぽど分かりやすいと思ったので……。
この本は、今から17年前の1998年刊行ですが、いまだに版を重ねています。それだけ、まだ読まれているんですね。