俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

契丹展

契丹展@上野・東京芸術大学大学美術館

9/9、重陽の日。ようやく「草原の王朝 契丹 〜美しき3人のプリンセス〜」を観てきました。これ、日中国交正常化40周年記念の特別展だったのね。
http://kittan.jp
契丹 (きったん)」とは、現在の中国北部にあった、騎馬民族の王国「遼」のことです。当時の中国王朝は「宋 (北宋)」で、首都は開封 (かいほう) でした。北京のあたりは遼の領土に取られていて、宋は遼に攻められてはタマランから、毎年、銀や絹を献上して「おとなしくしててね、ねっ」と頼んでいたの。
遼も、最初は剽悍な騎馬民族国家だったのですが、どんどん漢化していき (漢民族の文化侵略パネェっす、というのは冗談にしても、漢文化が洗練して見えたのでしょうねえ)、だんだん力が弱まってきました。そんなとき、勃興してきたのが「金 (きん)」。遼の支配下にいた一部族の「女真族」が、完顔阿骨打 (ワンヤン・アクダ) のもと勢力をのばし、ついには遼を滅ぼします。遼を討つにあたり、宋と密約(海上の盟)をするも、宋は約束をぶっちぎって見返りを何も与えなかったため、怒った金が宋を攻めると、あっちゅー間に宋は負けます。そらもう簡単に首都の開封は占領されて、時の皇帝や上皇*1を金に連行。ついに宋の北半分を分捕ります。ケチって約束を破るのイクナイね〜。で、宋は南半分だけとなり、「南宋」と呼ばれ、首都も杭州になりました。
むむ、遼の話をするはずが、大きく横道に。
もう20年くらい前になるのかな、陳舜臣さんの小説『耶律楚材』がベストセラーになりましたが、「耶律」は遼の王族の姓なんです。耶律楚材は、遼王室の末裔で、彼の先祖は遼が滅びたあとは金の官僚になっていたのですが、その金もモンゴルの侵攻に遭って滅亡 (栄枯盛衰)、残った耶律楚材はチンギス・ハーンに仕えて……てな話。
道草が長くなりましたが、「契丹」の遼とは、中国北部にいくつも興っては消えていった、騎馬民族の国家のひとつなのです。騎馬民族からして、やっぱり金の装飾品が好きなのよね。
漢文化の影響が受けながらも、ときどき素朴でおおらかな風が見られたり、なかなか楽しい展覧会でした。
会場が上野の芸大の美術館というのも、面白かったです。ちょうど芸大祭の最終日で、美術館周辺もにぎやかでしたよ。芸術を志した若い子たちが、のびのびと構内を闊歩しているのを見るのは、なにかこう……郷愁をそそられますねえ。

(2012.10.12追記。この日の日記で、書ききれなかったその後の追記と写真はこちら→ id:orenade:20120920 )

*1:花石綱で有名な徽宗。日本でいうと、室町幕府足利義政銀閣寺をつくった人)のような風流人で、そのために国家を傾けた