俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

自意識のゆくえ

今月、わたしの純粋休日(まったくの予定なし)は零でした。すべての土日に予定が! 本日はそんな2月の最終日曜です。洗濯掃除布団干しして、クリーニング屋に引き取りに行って、いったん自宅に戻り、布団を取り込んでから遅いブランチをし、横浜へ行った。着いたの15:40くらい。予定ではもっと早めに行動して、クイーンズスクエアで遊ぶとか、埠頭から海を見るとか……夢だな。横浜美術館で「松井冬子展」を観て、帰りに30分ほどお茶しただけのトンボ帰り。

松井冬子展 - 世界中の子と友達になれる - @横浜美術館

昨年、何がきっかけか忘れたが松井冬子を知り、衝撃を受けた。
私の知るだいぶん前から注目されていた方だったんですね。2011年紅白の審査員にも呼ばれていたし、狭い趣味に溺れるだけでなく、もっと広い目をもたないとだめだなあ自分。
横浜美術館
女性性、ジェンダー、コミュニケーション、自意識、狂気、生死、自分で自分の心臓をえぐりだして見せるような、表現です。非常な心象画。表現者としてしか生きられないタイプの作家さんだと思う。
公的美術館としては初の大規模な個展だそうで、作家の自作解説が多く付されています。作品表題も画も、暗喩のような直喩のような。作家自身のことばも小難しくて、よう分からんところもあるのだけれど、なんだろうこの不安感と安心感。とにかく、女性の絵ですね。
やはりナマの絵に優るものはないです。展覧会の副題でもある「世界中の子と友達になれる」は、松井さんの芸大卒業制作画のタイトルでもあるのですが、この絵を観たとき、ぞわぞわしました。
上記URLからも見られますが、画像の解像度が低くて……。藤の花房が幾重にも重く垂れ込める画面。房の下のほう、黒く花影のように見えるのは、すべて、びっしりと連なったスズメバチなのです。薄く微笑んだ少女が、花房をかいくぐって、何かをしようとするその手の先、足許には黒いスズメバチが群がっているのに、少女は気づかない。その、崩壊を孕んだ緊張感、官能。松井さんはこの絵の制作に没頭しすぎて、翌年1年間は使いものにならなかったそうですが、そらそうだろうと思う迫力。いろいろ凝縮されてて、圧倒されました。
ほか、個人的には「九相図」関連の画がよかったなあ。九相図とは、美女がほやほやの屍体から腐乱して白骨に朽ち果てるまでの「九相」を描いたものなのですが、高校時代に学校の図書館で見かけて以来、なぜか好きなのですよ。本来「生前は我がもの顔だった美女も、死ねばそらこの通り、諸行無常」という仏教画なのですが、わたしはここから、静かな死の優しみを感じるのです。そういう方、いらっしゃいませんか。松井さんの画でも、白い雪の蛆虫に、現実の非情さと、それと裏腹な休息の慈愛を見て、やはりぞわりとしました。
なかなか、脳を使いましたよ!
観終わって思ったのは三点。まず、表現方法のひとつに「痛覚」を用いるのは、刺青やピアッシングと同根なのかな、ということ。金原ひとみ蛇にピアス』は2003年発表でしたね。
二点目は、美人であることはつらいだろうな、ということ。作家の松井冬子さんは、それはもう美女であります。そのことで、かなり嫌な思いもされたことであろうと、勝手に推察申し上げます。で、瞬時に連想したのが、東村アキコの漫画『主に泣いています』。性格が地味で優しく、美貌を武器にはできない美女の、日常の生きづらさを描いたもの。

主に泣いてます(1) (モーニング KC)

主に泣いてます(1) (モーニング KC)

三点目は、女性ではなく、男性が、男性性を意識した絵画はあっただろうか、ということ。その道には詳しくないので、うーん、不明です。