俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

美は永遠

また昼近くまで寝入る。あわてて洗濯、布団干し、掃除、ごみ出し。駅まで走って、銀座テアトルシネマへ。

ルキノ・ヴィスコンティ「ベニスに死す」ニュープリント上映

http://death-in-venice.net/index.html(音あり注意)
いわずと知れた名作、ヴィスコンティの「ベニスに死す」です。作品公開40周年・ヴィスコンティ没後35年・マーラー生誕150周年である今年2011年、ニュープリント版で上映されるというので、会社の人と3人で観てきました。
ヴィスコンティは「家族の肖像」しか観ておらず、「ベニスに死す」は、実は初めて。映画評などでうっすらと外郭を知っている程度で、初老の音楽家が迷う美少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)も、10代の頃は「この子きもちわるーい」そんな時期もありました。人って変わるものですね、いま、アンドレセン君を見ると息をのむほど美しいです。彼の美がわかる齢になってしまった……。

齢40にして初めて観た「ベニスに死す」。いやもう「傑作」と言われるわけがわかったよ! 美しく端正で残酷。ヴィスコンティすごい。とても深い映画だった……。
この映画のすごさ、ヴィスコンティのえらさというのは、主人公の描き方に容赦のないところですね。物語の伏線も見事で、冒頭、主人公の初老の音楽家がベニスにやってくるところから、すでに彼の破滅は予見されているのです。
楽家が、美少年を初めて見つけるシーン。カメラがゆっくり (音楽家の視線で)、ホテルで寛ぐ客たちをパンします。なめるように、ゆるやかに移動していたカメラが、美少年のところにきた時点で、ふいっとカットされる。この唐突なカットが素晴らしくよかった。「見てはいけないものを見てしまった」ときの、動揺と視線はずしを、カメラワークだけで表現しているんですよ。もーたまらん!
なぜ「見てはいけないものを見てしまった」のかは、彼の芸術観と関わってきます。盟友との芸術論争で、彼はモラルを最上位におき、芸術に潜む邪悪さ(evil)も、努力なしに到達する「天与の美」を否定するのですね。しかし、その「天与の美」の化身を見て、一瞬で心奪われてしまう。そんな己の心の動きに狼狽して視線をはずすわけです。でも気になって気になって、ずーっとちらちら見ちゃうんですけどね。このへんがまた容赦ないの。
あまりにも美少年に心が傾くのを怖れ、音楽家はベニスを発つ決心をするのだけれど、手違いで荷物が別の場所に行ってしまう。「しかたがないから」元のホテルに戻るんですが、そのときの音楽家の顔がもう、ゆるみきっているわけ。滑稽なくらい嬉しそう。音楽家役のダーク・ボガードが、本当にうまいの。監督もすごいが役者もすごい。きっちり応えてる。
ここから、音楽家は能動的に美少年に迷います。その滑稽さ、醜悪さ。モラルで縛っていたペルソナの箍 (たが) がはずれて、素の衝動、希求というのは、どうしてこんなにも愚かで切ないのでしょう。また、美少年は、芸術のメタファーでもあります。美少年への思いは、欲望ではなく羨望ではないでしょうか。
主題曲である、マーラー交響曲第5番嬰ハ短調〜第4楽章(アダージェット)」もよかったですねえ。トーマス・マンの原作小説では、主人公は小説家ですが、映画では音楽家マーラーがモデルらしいです。ヴィスコンティの美意識と芸術観、哲学にやられた、美事な一作でした。