俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

おにぎり

第5土曜。この日は、趣味のグループはお休みです。でも趣味の講座はあるのだ。講座に出てから、いったん帰宅して荷物を置き、お芝居を観に再び外出。結局土曜は、いつも全日外出モードね。

おにぎり旗揚げ公演「斷食」@座・高円寺1

【脚本】青木豪
【演出】いのうえひでのり
【出演】村木仁 池谷のぶえ 市川しんぺー

1/29(土)19:00開演、於、座・高円寺1。上演時間は90分。
村木仁さんが言い出しっぺで旗揚げした、村木仁・池谷のぶえ市川しんぺー3人の新ユニット「おにぎり」の、第1回公演です。いのうえひでのり演出、青木豪脚本の「IZO」コンビ。いのうえさんが、久々の小さな小屋で、お金のない演出(我ながら身も蓋もない書き方だなー)をすると聞いて観に来ましたよ。青木さんの脚本も2度目で、どんな色なのか興味もありました。

うんまあ、悪いとは言わんけど。途中から「早く終わんないかなー」と思ってました。正直ですまん。
いのうえ演出は、どの舞台でもいのうえ演出でした。舞台正面の軸はぶれず、暗転をかたくなに避け、舞台を回すかわりに役者を使って回らせる。スタッフ欄の「殺陣指導:川原正嗣」に笑った。どうしても立ち回りを入れたいのね!(実際には、立ち回りというほどではなかったですな。それでも綺麗に見せたいと、川原さんにお願いしたんだろうなあ)
脚本の青木豪さんは、これが「初のSF芝居」とのことですが、SF? SFの味つけをした、というところでしょうか。そのへんは、演出も含めて少々ちぐはぐな印象。
近未来を想定した舞台設定なのでしょうが、どうも脇が甘い気がします。以下ネタバレしますが、海から魚がいなくなり、深海魚を加工して「らしく」見せて売るような時代。無機質で殺伐とした空気を出したいのだろうけれど、なにあのアルマイトのコップに皿に茶碗。冷たい空気感……てか、ただのキャンプ用品じゃん。安直でね? 食器を金属製にしたわりに、炊飯器や薬缶はふつうなのね。そちらも銀色にするとか、薬缶もスタイリッシュな電気ケトルにするとか、なんかあんでしょ。
すみません個人的に「海に魚がいなくなった時代……」などというと、「風の谷のナウシカ」(漫画版) のモノローグ、「人々は海の幸からも見放されていた。陸の毒素が最終的に行き着く場所が海だったからである (うろ覚え)」を思い出して、つい比べちゃいまして。ナウシカと比べるほうが悪いっすね。
「クローン保険」の設定もねえ。倫理的に通らないだろ、てか本人のクローンでなくとも臓器移植するだけなら、別人のクローン体でもOKだろと、それこそ黒いことを考えちゃいました。でもま、お話だからね! そういう設定でないと話が進まないからね!
母とそのクローン体が夢うつつに重なりあって、現実との境界線があやふやなまま、封印していた過去が露わになるあたりは、さすがにうまい。マザコンなのにずっと郷里に帰らない理由、母を愛しながらも距離を置くわけが浮かび上がります。

村木、池谷、市川の3人は、もとから力量のある役者さんたちで不足はないはずだけれど、話の運びとして、村木さんか池谷さんかのどちらかが「核」になってくれれば、もっとよかった。
後半、村木さんと市川さんのシャウトな台詞回しが気になりました。シャウト嫌いなもので。市川さんは声帯弱いからな……。
市川さんは、もうけ役。彼が一番わかりやすかったです。脚本も小出しに彼の出自を暗示させてて、丁寧でしたね。
池谷のぶえさんの「夕子」は、世間から隔絶されて無感情、無表情、役割を終えたら殺処分される立場の人間。外界と交わったことがないため、しゃべりかたも無機質……って、やっぱロボット調になっちゃうのね〜。このへんがいろいろと限界なのかな。無表情というわりに、すぐに外界になじんで表情豊かになってしまったのは、役者の業かもしれん。

もろもろ総括すると、うまいけど弱い。
悪くはない、面白いところもある、でもだいたい流れがつかめたところで「早く終わんないかなー」でした。
時代背景はちがうけれど、外界と隔絶した世界で生きた人間の一例として、「おじろく、おばさ (「新・サイコドクターあばれ旅」より「私家版・精神医学用語辞典」)」を思い出しました。

新感線観劇歴の長いお二方とご一緒させて頂いての観劇でしたが、ツボだった一言。
・ナイフが出た瞬間に、血糊出すだろうと思った(そうなんですか!)
・魚が海にいない時代に、リンゴが道端に落ちてるとか(たしかにw)