俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

観劇と家具

初・大塚家具

PARCO劇場まで「裏切りの街」を観に行く。14時開演だとわかっていたのに、頭がぼけてて、1時間前に到着してしまった。開場すらしてないので、ヤマダ電機まで足をのばす。TVとエアコンをチェック! TVはともかく、エアコンは「夏が来る前に買え」と親から知人から、複数人に言われているので、そろそろリミットなのよね。旧居では備え付けのエアコンだったため、新居に持ってこられなかったのです。
しっかし、いまのエアコンは機能満載で、どれがいいのかさっぱり分からん。ナノイーとかミストとか、除菌もどきとか、ほんとにイイのかしら。

芝居感想については後日。まさか3時間超えとは思わんかった。
14時から始まり、終わったのが17時30分弱。お茶とケーキで一服したあと、新宿まで移動。初・大塚家具だー!
コーナーTVボードの寸法を実見してみたかったのと、こういう機会でもないと大塚家具まで行けないですからね。大塚家具は、サービスがホテルみたいでした。ドアを開けたら担当者がついて、その担当者の案内で見て回るのね。自分一人で好き勝手に見られると思っていたから、びっくりだったわ。
大塚家具は高いと聞いていたが、あちらも客の恰好を見て判断するのか、ソコソコのへんを回りました。さすが客商売、よく見てるなーと感心しちゃった。餅は餅屋、家具は家具屋だと思ったのは、いろいろアドバイスをくれたところ。すでにうろ覚え状態だが、

  • 座卓の高さは35cmが適当。40cmは大柄な男性、座布団、正座してなんとかレベル(私は小柄なので、40cmだと高いですねと言われた)
  • 座卓で2人並んで座ると、幅100cmでも狭い。基本は120cm(だったかな。お客のことを考えると迷う)
  • TVボードで、女性は埃の入らない扉つき・収納にこだわる。男性は電化製品好きで、扉など付けずにAVを見せびらかしたい人が多い

とかなんとか。
そんなわけで、大塚家具のショールームは楽しかったです。でも次に行く機会はあるのかしらん。

PARCO劇場「裏切りの街」

【作・演出】三浦大輔
【出演】秋山菜津子田中圭
    安藤サクラ/古澤裕介/米村亮太朗江口のりこ
    松尾スズキ

5/23(日)14:00開演、於・渋谷PARCO劇場。二部構成で、休憩をいれて約3時間半の上演時間。長っ!
ポツドール」主宰の三浦大輔さんが作・演出を務める舞台です。自分の目当ては、松尾スズキ田中圭、秋山奈津子。名前をちゃんと覚えてなくて失礼したけれど、「時効警察」の江口のりこさんも出ており、他の出演者も含め、役者陣は申し分なし。

作・演出の三浦さんの芝居をちゃんと観るのは、今回がお初。主宰の「ポツドール」で観るのが本筋なのでしょうけど、すみませんね。ずうっと昔、フジテレビの深夜番組「劇団演技者。」で、彼の作品「男の夢」を1回、偶然観たきりだ。さびれた地方のカラオケルームに、地元の大学生が男ばかり。TV画面なぶん、空気感のイタさは軽減されながらも伝わってきましたね。それなもんで、「あ、この空気感知ってる、別段もういいや」とフェイドアウトしちゃったのよ。
とにかく、その深夜帯でポツドールの一端を垣間みたわけです。今回も、そのときとほぼ変わらない印象でしたね。
今回じっくり観て思ったのが、「空気感」を大切にする作風なのかな、ということ。主役は空気であり、流れである。なるようにしかならない人間の孤独感が、その空気にのって滲み出るのが上手い。
でもねえ……その空気感を出すのに3時間半は、やっぱり長いよ!


空気感がキモなだけに、台詞のたどたどしさや、間合の遠さが、現実世界と同じだけの時間を要する。いやそれも大切な作業だけどさ、空気を熟成して醸すのに必要な時間なのかもだけどさ、長いよ。だって言いたいこと途中で見えてくるもの。後半は確認作業なんだもの、自分にとっては。
丁寧に作られてて、わかりやすく台詞で言ってくれて、親切設計の構成なだけに、早々とわかった(ような)気になるのは、作・演出の底が浅いのか深いのか。わかった気になっている自分の底が浅いのか、ちょっと自信がないけど、以下、個人的回答。

要するに、秋山菜津子田中圭は、いつまでも保護されるべき子供でいたいんでしょ?
でも年だけは成人して、田中圭は女(江口のりこ)と同棲してヒモ同然に、秋山菜津子はしかたなく結婚して(旦那は松尾スズキ)専業主婦におさまる。互いの配偶者は、彼らを甘やかし、庇護して養う。
田中圭秋山菜津子に共通するのは、配偶者とのセックスを忌み嫌うことだ。二人がそれを忌避するのは、配偶者が「配偶者」ではなく、彼らの「親」に相当するから。親とセックスなんて、気持ち悪くてできないでしょう? だから、彼らは性を外で調達する。
しかし、配偶者は疑似親であっても、真実の親ではない。無償の愛情で庇護しているわけではないから、当然「配偶者としての責務」たる代償=セックスが求められる。しぶしぶ応じて「ご褒美セックス」を与える二人は、そうした行為を強いる配偶者を陰で罵る。嫌悪しながら、配偶者に別の異性の影が見え隠れすると、平静ではいられない。

田中圭秋山菜津子のほうが、配偶者よりも一段上にいるようだが、それは見せかけだ。しょせん子供は子供、本気を出した親には敵わない。下手打って浮気がばれた両人は、それまでの強気が一転し、配偶者に捨てられることを怖れる。子供がわがままを言えるのは、親の庇護あってこそなのだ。

そうしたコドモ男女の生態を、どんより活写した舞台でした。日本平和だな、というのが観劇直後の感想。結局、子供は子供のまま生きていくことを選択し、その後どうなるかは描かれない。あるがまま、足しもせず引きもせず、という作風か。ドラマツルギーを極力削ぎ落とした感じ。だからこそ、空気感を醸すのに3時間半かけたのだろう。気持ちは分かる。安易な答えは不要、状況を見せて、切り取りたいんだよね。でも3時間半は長い、としつこく書いて終わります。