俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

あるアニメーション作家は言った

ときどき見に行くブログに、メモ書きのように置かれていたリンクから知った。
YouTube:ユーリ・ノルシュテイン 日本を行く Part1/9

ETV特集「ロシアの映像詩人 ノルシュテイン 日本をゆく」(2005年5月14日放送) である。日本では商業アニメが成功しすぎて、こうしたアート・アニメが紹介される機会は少ないが、たいへんにすごいものですね。
番組の構成は、ノルシュタインが日本にきて、人形アニメ作家の川本喜八郎、アニメーション監督高畑勲、俳優イッセー尾形らと話す一方、自らのライフ・ワーク「外套」について語るもの。外套といえばお分かりですね、ゴーゴリです。確かに、あの作品には人生とロシアが詰まっている。喜八郎さんは「死者の書」の制作中(すでに完成し、一般公開もされた)で、「日本人とは何か、という問いかけです」と言う*1高畑勲さんとの対話は、YouTubeでは一部見られないが、非常に刺激的だ。
二人のことばメモ。
・今のクリエーターは、規制された社会に安住してしまっている。いや、その力に押しつぶされていると言ってもいいかもしれない(ユーリー・ノルシュテイン
・今は「泣けた」というのが、一番の誉め言葉。求められているのは感動。主人公と自己との間に距離感がなく、同化して充足感を得る。それはものすごく快楽主義で、映画でも「心が満たされる」ことばかりを求める客が多い(高畑勲
私は、慰藉する映画、舞台、小説漫画を否定する者ではないが、高畑さんはおそらく、そればっかりになっている現状を憂えているのだと思われる。バランスの問題ね。

ノルシュテインは言う。「観察しろ」「実生活から学べ」と。
実生活、己れの体験・感情、事象の裏打ちに欠ける物語は、訴求力がない。あたまだけで考えていてはだめだ。表現者として己れの世界をつくるには、たくさんのものを見、そこから考え、勉強していかなくてはならない。好きだからピカソ展に行くのではない、感じ、考え、勉強するために行くのです。彼は、アニメ・コンベンションに応募した若者たちに、手厳しいことばを投げかける。しかしそれは、高いレベルの批評であり、励ましでもあるのだ。
今から4年前の放送だが、語られることばの重み、社会状況に変わりはない。考えさせられる番組だった。

*1:死者の書」は、読むのが大変な一冊。私もななめ読みだが、ちょっと分かる気も。非業の死を遂げた死者の魂が安まらず、その魂鎮めに女性(妹[いも]。妹背のイモ、妹の力のイモ)が慰藉する――日本的ではありませんか。