俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

現代版・桜姫

芝居の初日を観に行ったよ! 鶴屋南北の「桜姫東文章」を現代に翻案した、「桜姫」です。元ネタの「桜姫東文章」は好きだし、役者もいいねと、チケットを取って満足の舞台でした。
「桜姫〜」歌舞伎版もいつか観てみたいな。たぶん、ナマで観たことはないはず。ではなぜ知っているかというと、木原敏江さんの漫画で読んだのね。丁寧かつ非常にうまい漫画化で、かなり面白かったです。初刊は「あすかコミックス (角川書店)」だったのが、今では「秋田文庫 (秋田書店)」から出ていますよ。

花の名の姫君 (秋田文庫)

花の名の姫君 (秋田文庫)


Bunkamura20周年記念企画「桜姫」

【原作】四世 鶴屋南北
【脚本】長塚圭史
【演出】串田和美
【出演】
秋山菜津子 大竹しのぶ 笹野高史 白井晃 中村勘三郎 古田新太(50音順)
井之上隆志 内田紳一郎 片岡正二郎 小西康久 斉藤悠 佐藤誓 豊永伸一郎 三松明人  

6/7(日)17:00開演、於・渋谷シアターコクーン。第一幕1時間15分/休憩15分/第二幕1時間30分と、約3時間の舞台。
コクーン歌舞伎の一環です。南北の「桜姫東文章」の現代版を6月、翌る7月に旧来の歌舞伎ものを続けて上演するという企画。現代に翻案したのは長塚圭史、演出は串田和美さん。南米を舞台に、清玄がセルゲイ、権助がゴンザレス。その情報に、舞台を観る前から笑ってしまった。桜姫は「マリアン」です。わかりやすっ。

南米文学は「なんかさー、マジカルなんでしょ?」程度の認識しかない、頭のかわいそうな自分なので、たぶん狙ってるんだろうなあと思いつつ、印象はフェリーニだった。実際、ちょっと映像的ではないかしら。サーカス(見世物小屋)もあるしね。串田さんの演出は、2005年の音楽劇「コーカサスの白墨の輪」以来、これで2回目です。2度目ともなると、演出家の「色」がほんのり分かってきますね。シンプルな舞台セット、楽器、衣裳。朗読劇のような台詞まわし。あまり、客席と舞台の境目をつくりたくない人みたい。前観たときもそうだったけれど、今回も客席の一部を舞台装置のように使っていたよ。


元ネタの「桜姫東文章」を知っていると、より楽しめる舞台だ。知らないと……ちょっと冗長に感じる人もいるかもね。圭史の翻案がうまい。これはこうして、あれはそう来たか、と二重の楽しみがある。かなり元ネタにのっとってます。ただ、国文学科のレジュメ発表のような臭みもあり、そのへんは人それぞれかなあ。あと、圭史の悪いクセとして (と、私は思っている)、まーた社会的な問題を、未消化のまま出している。南北問題、「貧富の差」ですよ。“崖の上/崖の下”の寓意、それ自体は悪くないが、なーんか半端。半端すぎて女装!@松尾スズキ
さっき「未消化」と書いたが、“提起はすれども答えが出ず”で、お題目どまりなのがイヤ。別に正解が欲しいのではない。頭で考えたものではなく、心から出たものが観たいのだ。筆の酔い加減も気になるところ。――とまあ、書きながら、個人的にはなかなかいい舞台だったと思います。初日の割に、完成度が高く、さすがいい役者集めてるな〜と思いました。でも勘三郎は、現代劇むいてないと思うよ……。

役者では、セルゲイ(清玄)の白井晃さんがピカイチの出来。白井さんを舞台で観るのは数年ぶりだけれど、こんなにいい役者だったことを忘れていました。美声だわ〜。ストーカー(笑)のインテリがぴったり。セルゲイとは表裏一体の、ゴンザレス(権助)・中村勘三郎は、正直いって弱かった。こればかりは、歌舞伎と現代劇の「作法」の違いを痛感せざるを得ない。
古田新太が、きっちり仕事してました。口舌がよくなっていて (噛む回数も、咳もほとんどなし)、前に言っていた“鍛え直す”発言*1は本当だったのね、と嬉しかったわ。古田さんと秋山菜津子さんのからみが、これまたいい。
ところで、笹野高史さんは自由劇場出身だったんですね! 今さら知った。演出の串田さんとは、自由劇場以来のお付き合いなのね。トランペットが上手なのも納得。1948年生まれとは思えぬ、軽い身ごなしがすごい。したたかで飄々、この人もまた、きっちり仕事をされる方です。笹野さん、好きだなあ。その他、見世物小屋の双子青年がかわいかったです。

*1:AERA」2009年3月30日号、インタビュー「現代の肖像」。今年1月の「リチャード三世」主演の際、客席の冷えた反応に自らの力不足を感じ、役者としての身体能力低下にも危機感を持ったそう。あの古ちんが酒を控える、って言ったんだよ! なお、この回の「現代の肖像」は、インタビュアー・インタビュイーの2人そろって、芝居への愛があふれた良記事です。