書けるほどの読解力にめぐまれず
今さらですが、「蜉蝣峠」@2度目の感想をUP(id:orenade20090328#p1)。長いです。
先日、10数年ぶりに再読した本。
- 作者: 中沢新一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1998/08
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
いやあ、読み返してみるものですね。10年前は読み流したのが、つらつらと胸にきたよ。大学の授業で受けた「ポトラッチ」の語が腑に落ちた。前書きのように置かれた「贈与する人」(初出は新潮文庫・宮沢賢治著『ポラーノの広場』解説) の文章。
魂は商品として、売り買いすることができません。……魂は贈与されるものです。自然から人へ、人から人へ、魂は見返りを求めることなく贈り与えられ、それを受け取った人は、自分が受け取ったものにもまさるすばらしい贈り物を、他の人々に贈り与えようというのです。
……自分や自分に親しい者たちだけが、幸福になったり、利益を得たりすることを望んでいるあいだは、人は贈与者になることができません。そういう人は、贈与ではなく、商売をするのです。……そこで働いているのは、人と物、人と人とを分離する「ロゴス」の力です。……
ところが贈与は……人々を結びつける力によって、働きをおこないます。つまり、それは「エロス」の力によって働くのです。なんの見返りを求めることもなくおこなわれる贈与は……魂と魂とのあいだに、エロティックなひとつの通路をつくりだします。そのとき、贈られる物といっしょになって、それを贈る人の魂が、贈られた人の魂のなかに、侵入をはたすからです。
しかし、決意して贈与者になろうとしたものは、現世では、けっして幸福にはなれません。現世では、贈与はつねに誤解されて、裏切られていく運命に、さらされているからです。あの「なめとこ山」の漁師と熊のことを考えてみましょう。漁師の生存にとって……自然は、熊の立派な肉体を、人への贈与として与えたのです。ところが、人はその贈与を受け取るためには、まず熊の生命を奪わなければなりません。……
その漁師と熊が出会う、その瞬間に、そうしたことのすべてがあかるみにでます。贈与は、現世にあっては、深い悲しみを同伴させる、という真実です。
長い引用でごめんなさい。ここを読んだとき、岩波文庫『完訳 グリム童話集』を訳した金田鬼一さんの、「現実でハンス*1であることは、不幸かもしれない。しかし、我々は、ハンスになることはできる。そうすることで、人生に深い喜びを見いだすだろう」という意の文章を思い出した。自分はどうも、「惜しみなく愛は奪う*2」といった思想に弱いみたいです。
実質の巻頭といっていい、対談「四次元の修羅」がめちゃくちゃ面白くて刺激的だから、興味のある方はどうぞ。主に宮沢賢治の話だけれども、せっかくなので、演劇とからんだところをご紹介。
「前衛的なるものは日本では東北の専売特許じゃあないでしょうか。アヴァンギャルドの条件は、エロスが抽象じゃないと駄目なんです。たとえば土方巽の肉体、あれは決して猥らじゃない、乾燥して、金属性を持っています。生命が抽象化されてダンス化しているのです」
「(白樺派について)ホモ・セクシャルで、しかもフリーセクシャルでしょう(笑)。その震源地はどうやらトルストイだな。あの人はとんでもない人だ。……ドストエフスキーが描いている犯罪はもっとわかりやすい。論理的です。ところがトルストイには論理がない。感情のこんな恐ろしい世界があるんだぞって、そのままなんの救いもなく、投げ出してみせる。あんな恐ろしいアンチ・クリストな作家はいないでしょう」(どちらも中沢発言)
半端なところで申し訳ないが、時間切れだ。これにておしまい。