俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

東博

午後から雨、の予報だったが、割と早めに降り出した。しとしと降り。
お茶で一服してから、上野へ。東博の特別展「仏像」である。雨、かつ15時近くに入場のおかげで、人出はそこそこ、人気展をゆっくり観られてよかった。一体一体の間隔が広めで、多少群がってもご本尊がばっちり見える環境が、なんといってもストレス・レス。寺外公開は初めてという、向源寺の十一面観音は流れるような美しさだった。帰りは上野駅のGARDENで食料品を衝動買いしたり、乗換え駅の百貨店でセーターを衝動買いしたり、久しぶりに日曜始まりの手帳を買ったりしているうちに、傘が腕から消えていた。電車ホームで片手が軽いと思ったら! あわてて引き返し、あちこち探すが見つからず。瞬間移動したのかしら。

東京博物館 特別展「仏像 一木にこめられた祈り」

昨日18日に、来場200万人に達した人気展。「第一章 檀像の世界」「第二章 一木彫の世紀」「第三章 鉈彫」「第四章 円空と木喰」の構成。
これだけ一堂に会すると、お国柄や時代、ご本尊の個性のちがいがよく見える。門外漢だけれど、唐渡りの仏像さんは、やったら細工が細かいのね。天衣のしわから、米粒より小さい瓔珞(長い首飾りみたいなの)のひと粒ひと粒まで、きっちり仕上げ。背面まで手を抜かないリアル主義です。対して日本は、素朴にあっさり仕上げ。天衣のしわは主線程度、お顔も茫洋と大らかで、瓔珞も二次元のような省略表現だったりする。
この感覚、「大兵馬俑展」のときと似てる。中国はマネキンみたいな等身大リアル俑(埴輪みたいなもの)なのに、日本は踊る埴輪の一筆書きミニサイズなんだ。仏像でも同様だとは。お国柄?(念のため。秦の兵馬俑が等身大なのは、製陶技術が高いことの証左でもあるかと思われます)
日本仏像黎明期である奈良朝のお顔は、お手本のインドや唐の影響がちらりと残って、どこか異国的だ。平安朝は、なんとはなしに和顔。あっさり主線の余白の美を醸している。後期展示の目玉、向源寺の十一面観音は、写真より圧倒的にきれい! 足がとまったわー。風に吹かれたまま静止、という風情で、とにかく優美。顔の中から顔が現れる宝誌和尚立像も、写真だとただのヘンな人だけど、実物のオーラはすごいよ。
第三章の「鉈彫」は入った瞬間から、木の匂いに満ちたヒーリング空間。香木の仏像が多いんでしょうね。男神坐像よかったなあ。第四章の「円空・木喰」も、こんな人いたんですねと面白かった。木喰って、修験道の人だったのね。だからプリミティブなのかしら?