俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

自負と高慢

美容院に行こうと思ってたら、今日は休みで寝た。14時起床。わー昨日より1時間はやーい。あれこれ用事をこなして、銀座に到着。もう外ほの暗いよ。帰途につく人の流れに逆行して映画館へ。有楽座で「プライドと偏見」観てきました。定石も定石、堂々たる王道! 少女漫画のお約束満載で、なるほど19世紀から読み継がれるわけだわと思った。反撥しあって素直になれない二人、誤解につぐ誤解、気になるくせに「あんな人嫌い」と言ってみたり、無口でぱっと見冷たい彼だけど、ほんとは優しいの……うわはー。別マ?
この光り輝く王道を、からい現実をまぶして味付けし、機知に富んだセリフと人間像で、ただのベタに終わらせない原作者の手腕はすごいです。正直いえば、主人公の自己正当化(と自分には思える)に、たまーに鼻白むときもあるんだけど、うん、それでもやっぱりおもしろい。先日、初めて同作者の『説きふせられて』を読んだのだけど、次々と繰り出されるベタと、そのさじ加減の絶妙さに即ノックアウト。物語作者だわあ。「プライドと偏見」の原作はまだだけど、オースティン漁ってみよう。

映画「プライドと偏見

この映画に興味を持ったきっかけは、物語舞台の19世紀初頭イギリスでは「女性に財産相続権がなかった」という惹句。女子しかいない家は、どんだけ遠い親戚でも、そいつが男子というだけで一切合切を持ってかれてしまうのでした。あと、女主人公のエリザベス役、キーナ・ナイトレイが可愛かった。同じオースティン原作で、グィネス・バルトロゥ主演の「エマ」もあるけど、その頃グィネスはあんま好きじゃーなかったのよね。

「女相続人はない」設定に気をひかれたのは、個人的体験がかなり影響してます。自分は妹で、上に兄。父親は古い人間で、小学生のときから「この家は兄のものだから」「遺産は(というほどないけど)7:3か6:4で兄と妹かな」「お前大学行くの? まあ女だからどっちでもいいやな」といった発言を聞かされてました。今にして思えば、父は娘を愛してないわけではなく、ただいつか嫁に行くだろうという気で、大学進学を小学生に聞いたのも、彼自身の人生設計で、学資を計算したかったのでしょう。
でもね、実家には頼れないと思ったね、小さい頃から無意識に。そんで大学を「出してもらった」あとは、とにかく就職しないと、と思った。自分はリブではないけど、女の生きやすさ、というのは「男性の保護下においての自由」が大きいと思っている。既婚未婚に関わらず。んーでも、自由をより謳歌できるのは、既婚の主婦が一番でしょうね。
なので、女きょうだいしかいない友達が「結婚しても、いやになったら実家に戻ればいいもんね」と、ふつうに言ったときは目からウロコだった。姉妹ってそんなに気楽なの!? 自分が姉で下が弟、という人も「力関係は、男女の順より、長幼の順かな〜」と言ってたし。実際、どうなんでしょうね。兄のいる妹と立場が似ているのは、兄のいる弟かも知らん。
そんなこんなで、相続権のない女性が“結婚”に全身全霊を傾け、思い惑う映画に興味を持ったわけです。前置き長い。

原作未見につき、この映画と、原作者の別の小説『説きふせられて』の印象をミックスして書く。この作品は、主人公カップルに夢を託したお話。主人公とその相手役は別として、その他の登場人物は、シビアな描かれ方されているよね。
女主人公・エリザベスが、自分からすると夢設定。「読書好きで気の強い、知性ある女性」なんでしょう? 女の子の特別意識をくすぐる設定ですよ。いやらしい。ディズニー「美女と野獣」のベルも、読書が趣味の「ちょっと変わった女の子」らしいけれど、それを聞いただけで、自分は観に行きませんでした。自分の中にある特別意識を、見透かされたような気がしたの。いわゆる「図星」。自意識過剰でごめんなさい。
おそらく、そう思いたがる女性は縁遠い方が多いと思われます。相手に求めるものが高いの。自分と同等、もしくはそれ以上。クラスが格下の場合は、それを突き抜ける「才能」が相手に必要。実際、エリザベスも、牧師に「私が申し込まなければ、あなたが今後結婚できる可能性はほとんどない」と言われて、唇ぶるぶるさせる場面があります。自分が嗤っていた男に、そう言われる屈辱! でもほんと、適当な男子は見当たらないのよね〜。エリザベスはきっぱり断るけれど、仲のよかった従姉妹が、その牧師の求婚を受け入れたことを知り、愕然とします。この従姉妹は、エリザベスの夢設定をとっぱらった現実。「何も言わないで! 私、もう27なの。家にいづらいのよ」

エリザベスの相手役であるダーシーも、女子のいかにも好みそうな夢設定。一流で大金持ちで繊細で知的、ぶっきらぼうだけど優しく、断られてもめげずに愛の告白! いないよこんな人。女性に面と向かって「嫌い」と言われたら、たいていの男性は諦めて、追っかけないんじゃない? 女性が「逃がした魚は大きかった……」と後悔したところに現れて、「諦めきれない、どうにも愛してる」。女子の妄想爆発の夢だよね〜。
表題の「プライド」は男、「偏見」は女が、相手に対して持っているものであるが、映画では反対の印象を受けた。エリザベスの方が、気位たかくない? ダーシーの方が、よっぽど素直だよ。エリザベスが何か言うたびに、ダーシーは彼女が「格下の女」であるという偏見を捨てているけど、エリザベスは彼の美質を容易に認めないものね。それと、姉と相思相愛のMr.ビングリーが「本を読むより体を動かしている方が好き」と言ったときの、エリザベスの表情。“はい落っこち! あなたは対象外”としか見えない。そういうのが、ちょっと鼻白むところ。
しかし、それでもエリザベスが魅力的なのは、くじけたり妥協したくなっても、ふんばって筋を通すから。芯があるのね。そこが好ましい。その他の登場人物も、それぞれキャラが立っていて面白い。エリザベスとキャサリン夫人の対決では、「ダーシーは私の娘と婚約しているのよ!」という夫人のセリフに膝ポン。相続権がないのは、貴族の娘も同様だものね。同等クラスで親戚であるダーシーは、ほどよい婿がねなワケだ。トンビに油揚をさらわれそうになって、身も世もない夫人の直談判が、いっそせつないです。

余計なことばかり書いた気がする。身につまされながらも、イギリスの風景や城館、19世紀のコスチュームは美しく、楽しめた。登場人物の性格が、ちょっとしたシーンでわかるようになっており、原作を知らなくても面白かったです。結局、「愛のある結婚がしたい」というエリザベスの言葉に、女子の夢は集約されそう。もちろんハッピーエンドで。