俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

昔は

そばの花。根本は赤い。

ハーイ今日は実家に来ております。
昨日は一日中用事用事用事で、実家に着いたのは日付をまわってから。「栗ごはん食べさしてくれたら帰る」という、非常に打算的な理由で申し訳ない。スーパーで売っている栗は、一人分には量が多いのだ。もっと小売りしてくれないかなあ。
夕飯の買物に出たら、親戚に会った。同行の母とともに挨拶、そして世間話。つと風向きが変わって「糸ちゃんも早くお嫁に行って、お母さんたちを安心させなきゃ〜」出たーーー! これが「田舎の親戚」だ! しかし親戚は、いい人なんである。100%善意なんである。「いやーあははそおですねえ」と後ずさりして、スーパーへ。道々、触発された母親が「だからお前も結婚相談所へ申し込んで……」勘弁してくれえ。

夕飯には、隣の祖父も呼んだ。昼間に親戚に会った話をしたら、昔がたりスイッチが入ったようで、彼の知っている親類の話が始まった。祖父が小学生の頃 (大正時代だ)、遠くの親類(といっても同じ市内)で、違う小学校に通う子がいた。その「ナントカ小のやつら」とは学校同士対立している。その親類の子も、敵対グループの一員として、祖父の家に襲撃に来た。「家に石をぶつけるんだな。石合戦だ」それ危なくないですか!「昔はのどかなもんだ。よかったなあ昔は」聞いてないし。まあ、加減して投げてたんでしょう。人には当てないとか、当てる場合は小さな石にするとか。
かといって親戚同士、仲が悪いわけではなく、その子の親爺さんは、よく祖父の家に遊びにきたそうだ。「ほろ酔い加減で機嫌よく、上がりかまちに座ってな。♪電信柱に花が咲く……と鼻唄をうたって、『ここへお酒持ってきて飲もうや』。わしの親爺は年上だから、『酔っぱらって来るな!』と叱ってたよ。昔はよかった。おおらかだった」
つづく祖父の話を聞いていると、どうも大正時代の田舎では、唐傘(からかさ)はそこそこ高かったみたいだ。「親類の子もワシも、誂えの唐傘で学校へ通って……」と、「誂え」の「唐傘」が自慢ポイントらしく、3回くらい連呼してた。「まだコウモリはなかったな」コウモリ傘=洋傘のことですよ。
唐傘は弱そうに見えるけど、と茶々を入れたら、母が「油紙(あぶらがみ)だから、けっこう水を弾いて、濡れないわよ。私の子供の頃にも、まだ唐傘はあったわ」母は60代前半。昭和20年代後半までは、割と見かけたのかしらん。

蛇足。昔の電信柱は木製で、表面に黒いコールタールを塗られていた。
さて写真は、そばの花。初夏には麦だった田畑が、今はそばになっているもよう。