俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

現代にも「小豆相場」はあるのよ

帰省2日目。ケーキを買ったり、半年ぶりに車を運転したり。母とカーテンを見にいくが、サイズがあわずにむなしく帰ってきたり。
隣家の祖父を呼んで、いっしょにお昼。祖父がまだ若くて独身だったころ、というから昭和初期だろうか。親戚の小父(伯父/叔父の別がわからず)が自動車仲介業で儲かったという話を聞く。
「小父は師範を出て、しばらく先生をしておったのを辞めて、自動車の輸入を始めたんだな。東京に小さな個人商会を出して、それが当たった。月に60〜80円の純利益。わしの給料が40円のころの話だから、いい稼ぎだったんだよ。年に8000円だと言っていたが、それはどうも対外的なもので、実際は1〜2万は稼いだらしい。東京に行くたび、泊めてもらったものだよ」
その小父は3〜4年で小金がたまると、「まだ儲かるのに、思いきりよく」店を閉め、奥にひっこんで若隠居を楽しんだ。が、子供が優秀な成績で学業を修め、医者になり、これからというところで肺病にかかる。「医者の不養生、というやつだな」惜しいことに、お子さんは若くしてお亡くなりになったそうだ。「で、小父ごの家族はアメリカに渡った」どうしてそうなるのかは分からないが、とにかく米国に行ったらしい。そのまま、自然と音信不通。祖父の話は、おとぎ話のようだ。
なにしろ、93歳である。タオルは「手拭い」、ノート筆記は「帳面につける」、金持ちは「お大尽」。祖父の知ってる昔話には「悪代官」も出てくる。悪代官! いろいろ悪いことして、物持ちになったが「小豆相場に手をだして」すっからかん、家も絶えたそうな。祖父の話では、たいていのお大尽は「小豆相場に手をだして」財産をスり、家が絶えることになっている。ほんまかいな。とはいえ、万に一つ、自分が「お大尽」になっても、先物取引の小豆市場にだけは、手をだすまいと思ったよ。ちゃんちゃん。
【2007年12月追記】
祖父の昔語りに出てくる「小父」ですが、よくよく聞いたところ、自動車の輸入ではなく、どうもタクシー(もしくはハイヤー)の運転手だったもよう。いわゆる、個人タクシーかと。