介錯たのむ
江戸期の刑法で、斬首による死刑には4つの別があった。すなわち「斬罪」「切腹」「死罪」「下手人」である。身分の高低、罪状によってそれらは区別され、斬罪・切腹は士分、死罪・下手人は平民の刑であった。斬罪よりも、切腹の方が武士の体面を重んじたものになる。ここでは、切腹について書く。
腹を切るという苦痛の死*1から早く切腹人を解放するため、斬首という形で介添えするのが「介錯」人である。初太刀が基本で、斬り損なった場合でも三太刀以上はくださないとされた。逆をかえせば、三太刀目までに終えなければならぬわけである。当然、腕の立つ者が選ばれるようになった。だいたい、その場には介錯人と介添人、検視役がいたようである。
介錯人には親戚、友人知人など、切腹人とつながり深い人物が適任とされた*2。それが切腹人に対する礼節であり、情義なのである。五千円札のお顔・新渡戸稲造はその著『武士道』で、「神戸事件」の引責切腹 *3を見た外国人の著書から下記のような引用をしている。
介錯という語は、英語のエクシキューショナー executioner(処刑人)がこれに当る語でないことを、知っておく必要がある。この役目は紳士の役であり、多くの場合咎人(とがにん)の一族もしくは友人によって果され、両者の間は咎人と処刑人というよりはむしろ主役と介添えの関係である。
――新渡戸稲造『武士道』より、第十二章「自殺および復仇の制度」
岩波文庫版、矢内原忠雄訳(原文は外国人向けに書かれたため、英語)
しかし、この辺の感覚が、どうもわかりにくいですね。以前、歴史小説で「身内が介錯するのは思いやりであった」といった記述を読んだとき、え、ほんとに? と思ったもの。「余人の手にかけるくらいなら、私が」といったところなのでしょうか。そう考えると、両者ともに忘れなくさせる、重ーい愛情表現ですね。縁者を介錯人にたてることによって、遺恨を防ごうという意味合いもあったのでしょうか。
ただ、縁者が一番とはいえ、実際の介錯人には、縁故よりも剣の腕が優先されたと思われます。名前は縁者であっても、実際の執刀は別人、ということはあったでしょうね。
さて、切腹といっても、あまりざっくり腹を切ると、生体反応で身体が揺れ、介錯がむずかしくなる。そのうち、刀を腹に当てたか当てないか、早ければ刀に手をのばした時点で、介錯するようになったようだ。切腹用に用意されたのが刀でなく、扇子であることもあった。こうした、切らずの切腹を「扇腹 (扇子腹)」という。
ひとつ、参考になりそうなURLをご紹介。
●切腹(「不利育堂本舗」HPより。上記『武士道』が、もう少し詳しく引かれています)
前々回の大河で、切腹を強要された葛山さんの「作法がわかりません」に、山本土方が「作法なんて、別にどうでもいい」というのは、葛山の人物に対する判断と、どうせすぐ介錯だ、という思いがあったのかもしれません。そして、来るべき山南Dayに相対するのが藤原総司、というのも、情義と考えれば、そうかと思う点もあり (物語的には、葛山/斎藤との対照も?)。結局、シメは大河話でした。