俺はなでしこ

 はてなダイアリーから、2018年12月に引越してきました

映画「 FAKE」

森達也監督の映画「FAKE」を観てきました。
森達也監督はテレビ・ドキュメンタリー出身で、ミゼットプロレスを撮った「ミゼットプロレス伝説 〜小さな巨人たち〜」でデビュー。テレビ・ドキュメンタリーとしては他に「職業欄はエスパー」「放送禁止歌」などがあります。
私がこの人を知ったのは、オウム真理教の一般信者に密着した映画「A」シリーズですね。といっても、新聞雑誌で取り上げられた記事を読んだだけで、映画自体は観たことがありません。なので、今回が初・森達也なのです。

「FAKE」は、2014年に世間を騒がせた音楽ゴーストライター事件で渦中の人となった沙村河内守(以下敬称略)に密着したドキュメンタリー映画です。
その騒動のとき、沙村河内守と、告発者となった新垣隆とに興味を覚え、聴覚障害について(感音性難聴もよく知らなかったので)調べたりしたので、「サムラゴーチを撮るのか〜、森達也の映画観たことないし、行ってみるべか」と、今日に到りました。今回の映画は評判もいいらしいし、知人に森達也ファンの人もいるので、ちょっと噂を聞いていたのもあります。
で、「FAKE」ですが、ゴーストライター事件の真相を知りたい、という方には向いてませんね。沙村河内守とその妻の生活が中心で、そこに事件の余波としてTVが取材依頼に来たり、海外メディアの記者が取材で問い詰めたりしたシーンはあれど、それは本筋ではないし、フィルムは肯定も反駁もせず、捕捉の映像もありません。つまり、撮りっぱなし。ただ、編集はされているので、そこに監督の取捨選択が垣間見えます。
まあ、私も森達也の作風を人から聞いてはいたので、騒動を真っ向から解き明かそうという映画ではないだろうな、とは思ってました。ほんとにそうだった(笑)。一応、沙村河内側から撮っているので、それと敵対構造になっている新垣隆・ジャーナリストの神山典士がワリを食ってますね。森達也からしてみれば「そういう映画の作りだから」でしょうけれど、新垣・神山からしてみれば堪ったもんじゃない。両者から抗議があり、言った・言わないの場外戦になっているのは、ここでは深追いしません。
最後まで観て、沙村河内守の本当と嘘は、もはや本人にも分かってないんだろうな、と思われました。なんかね、この人、小粒なんですよ。ホラ吹きというか、ペテン師というか、それにしても矛盾がポロポロ出てきて、よーく聞いていると「なんかこの人ヘン」。
自分を大きく見せることには長けているけれど、そのうちボロが出るタイプと見た。で、追及されると黙るか逆切れするんじゃないかなー。そんな人、けっこういますよね。
だから、沙村河内だけ見ていると正直飽きる。そんな共感できる人間じゃないし。なので、その妻がなかなかの存在感を示します。若い頃はきれいだったんだろうと思わせる、落ち着いた物腰の雰囲気ある女性で、私はこの奥さんが、映画で一番怖かったです。あまりにも夫の沙村河内を受け入れすぎてて、怖い。
夫も奥さんにかなり依存しているように見えましたが、昔ブイブイ言わせていた頃は、けっこう奥さんをないがしろにしてたんじゃねーの?とゲスいこと考えちゃいましたが、奥さんは昔も今も変わらなさそう。悲壮感もなにもなく、淡々と生活をともにしているのが「何を考えているのだろう」と不安になるくらいでした。
監督の森達也は、沙村河内本人よりも、奥さんのほうに興味を持ったようで、奥さんがいたから映画を最後まで撮ることができたもよう。それは分かるなあ。沙村河内守だけだと、人間の底が浅い(失礼)感じがするもの。

途中で、別の聴覚障害者(先天的に耳が聞こえず、勉強と努力で読唇術と発声法を覚えた方)が、耳が聞こえないとはどういうことか、聴覚障害者が「聞く」ことについて語るシーンがあります。聞こえない人が
、健常者からは「聞こえる」ように見えることについても言っていて、そこは素直に頷ける内容でした。
沙村河内の両親も出てきて、あの一連の騒動で知人友人、みんな離れてしまったとか。「賞も取ったえらいジャーナリスト(神山典士)が言っているのだから、お前の息子は悪人」となるわけです。このへん、現代の人の見方を象徴していますよね。その人本人ではなく、偉そうに見える人の言うことを信用する。そしてその影響は、親兄弟まで及ぶ。

最後まで見て、この映画を「ドキュメンタリー」「ノンフィクション」と言うには、ちと抵抗があるなあ、と思いました。
監督の森達也は、その著書で『ドキュメンタリーは嘘をつく』と言う通り、どうしたって作成者の主観が入るのだからフィクションになってしまうものだ――という考えの持ち主です。それは、その通りだと思う。
それにしても、編集が偏っている気がしてしまったのですね。沙村河内守を題材にしているのだから、沙村河内本人の思考をもとに編集、切り取るのは分かります。でも、ドキュメンタリーではなく、森達也がフィルムの中から選んだ「ストーリー」を観させられている気分になりました。
また、観客はゴーストライター事件を念頭に置いて見ている人が大半でしょう。そして、その事件を知らないと、この映画は相当つまらないと思います。だって、小粒のペテン師紛いの話なんかどうでもいいもん、私はね。そこがこの映画の弱味かな〜と思いました。ラスト12分も、そんな衝撃は受けなかったです。おそらく、映画を観るうちに、沙村河内守への私の興味がなくなったせいですね。